田上菊舎のご紹介 | |||
一字庵 歳若くして夫に死別しましたが、再婚の道を選ばず、得度して諸国行脚をつづけました。 旅の先々では、その土地の文人・墨客とも親しく交遊し、俳諧だけでなく、漢詩・和歌・琴曲・書・画・茶事などの諸芸に通じていました。 封建社会の中にあって「風雅に老若男女貴賤都鄙の差別なし」という俳諧の道と、自分のはからいを捨てて「信」の一字に生き抜いた74年の生涯でした。 師の美濃派以哉派宗匠、朝暮園傘狂(大野是什坊)の「薦一枚のさび」の教えを守り、終生無欲に生きた菊舎に、周囲の人々が暖かい庇護の手を差し伸べたことはいうまでもありません。 没後190年の今日、果敢に挑戦する向学心と、快活洒脱で機知に富んだ菊舎の生き様に、多くの人々が心惹かれているところです。 破格で活動的、多彩な生涯をおくった菊舎は、わが国の女性文化史上においても、異彩を放っています。 ここに菊舎の高風を追慕しつつ、世に広く顕彰して止まないところであります。 |
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三千丈あらひ清めて根白草 |
略 年 譜 | 交 流 人 物 | 旅 年 次 |
ふるさと 田耕 | 終焉の地 長府 |