菊舎研究会だより

研究会だより 2018年9月 〜古川哲郎さんを偲んで〜

 今年の夏は記録的な猛暑でしたが、9月も半ばを過ぎようやく涼風が吹くようになりました。皆様には、如何お過ごしだったでしょうか。

 先般、一字庵だよりでもお知らせがありましたが、菊舎顕彰会副会長の古川哲郎さんがご逝去されました。菊舎研究会の大事なメンバーでもありましたので、今日は古川さんのご功績を紹介したいと思います。
古川さんは、顕彰会の副会長として常に岡昌子会長の傍らにあり、長年、活動の中心的存在でした。
 私が、古川さんに初めてお目にかかったのは、平成15年(2003年)の菊舎生誕250年の年でした。この年の正月、1月21日に田耕の新春句会に伺い、秋に山口県立美術館で行われる菊舎展での協賛行事『俳句香』を句会の皆様にご紹介する機会に恵まれました。古川さんは、仕事時間中ではありましたが、職場から駆け付けて香席に参加して下さり、「
わぁ〜、むつかしいねえ〜」と微笑みながら楽しんでくださったことを覚えています。
 この250年展を機縁に私も菊舎顕彰活動に加えていただき、展覧会終了後は、菊舎研究会を結成、毎月のように会長宅に通うことになりました。仕事の合間を縫って、古川さんも研究会に参加して、菊舎が実際に歩いた行程を検証する役目を引き受けて下さいました。この企画は途中から別の人が担当することになりましたが、かち歩きのレポート「哲郎のてくてく旅」(その1〜その5まで、『菊舎研究ノート』に掲載)では、本当に長府から萩往還までを踏破され、その記録は貴重なものとなっています。
 また、会員研修旅行では毎回団長を務めて下さり、無事に終えることができたのも古川さんのお力が大きかったと思います。
一番の思い出は、芭蕉の生誕地伊賀上野に向かう折、新大阪の駅で一名参加者を見失ったこと。会長はもとより私も真っ青になりどうしよう・・、と思っていたところ、古川さんが「
私が残って探そう。伊賀上野への道順は良くわかっているから見つけたら追いかけるよ」と力強く言ってくださいましたが、不安を抱えたままバスは出発。多くの人が行き交う新大阪の駅で、果たして見つけ出すことが出来るか、とても気を揉んでいましたが、その20分後「見つかりました!」との電話。暗く沈んでいた車中もはじけるような歓声と拍手の渦!その様子が古川さんの携帯にも聞こえたようです。バスが新大阪の駅までUターンして全員を乗せて、気分よろしく安心して旅を続けることができ、この時ほど古川さんを頼もしく思ったことはありませんでした。皆も同じ気持ちだったと思います。
 最近は研修旅行の下見にも同行して下さいました。車の運転や、相手先との交渉事もスムースに運びました。最後にご一緒したのは、今年6月3日の長門・萩方面の下見・取材でした。古川さんの運転であちこち巡り、研修旅行の段取りもできて一安心しました。その折、ちょっと体調が良くないようなことを独り言のように漏らしていらしたのですが、それは、体からの真実の訴えだったのですね。お疲れがたまっているのだろう、少し休養されたら回復されるとのんきに思っていましたが、病魔に襲われていたとは・・。
 古川さんのお人柄に甘えてご無理をお願いしたこともあったかもしれませんが、どうぞ、お許しください。研究会での活動にも否やは無く、いつも前向きに物事を捉えて下さり、どれほど心強かったことか。これからも折に触れ、古川さんのことを思い出し、研究活動を進めていく事になるでしょう。
 最後になりましたが、これまで様々お世話になった事を感謝申し上げ、謹んで哀悼の意を表します。古川さん、有難うございました。

 
 (吉村 ひとみ)    2018年9月18日 
研究会だより 2018年7月  第20回菊舎ゆかりの地めぐり

大雨のご被害、心よりお見舞い申し上げます。
菊舎の故郷下関も台風通過や大雨もありましたが、人命に関わるようなことはなく、平常を取り戻して無事日々を過ごしています。
 さて、先日、第20回菊舎ゆかりの地めぐりを行いました。今回は菊舎の生誕地田耕や角島、そして旅立ちにあたり得度と美濃派宗匠への紹介状を書いてもらった地・萩を見学しました。
平成30年7月8日(日)、前日までの大雨で交通機関の乱れも心配されましたが、参加予定者は無事集合。まず、菊舎ゆかりの寺、田耕の深長山妙久寺へ。ここには菊舎の妹が嫁いでいます。本堂では、菊舎顕彰会の岡昌子会長(妙久寺十五世坊守でもあります)のご挨拶・菊舎の掛け軸などの説明がありました。


 その後、近くの菊舎生誕地・田上家、菊舎婚家・村田家分家、その隣の村田家本家を見学。旧田耕小学校校庭や田耕促進センターに残る菊舎句碑を見ました。そして参加者を乗せたバスは、角島へ向かいます。絶景ポイントの角島大橋は、残念ながら雨のため眺望は良くなかったのですが、初めてみる景色に感動する人多数でした。角島灯台や島の民家近くを巡り、今日のお宿ホテル西長門リゾートに到着。一息入れて、お楽しみの懇親会です。


 毎回、懇親会ではご参加の方それぞれから自己紹介を兼ねて一言ずつお話していただいているのですが、菊舎への思いも含めて今回も楽しいエピソードの数々を聞くことができ大いに盛り上がりました。
 翌朝は晴天。一路萩へ向かいます。途中、長門市の八幡人丸神社に参拝。天明元年(1781)29歳の菊舎は、長府を出立するとまずここにお参りし萩へ向かいました。境内には、地元油谷の俳人方によって建立された句碑があります。古典植物苑には、キキョウ・オミナエシなどが咲いていました。筆柿と呼ばれる珍しい柿の木もあり、筆の穂先のような形をした青い実も見つけました。「染めて行む筆柿の葉も茂り時」と詠んだ菊舎の心を偲びました。


 続いて萩・金谷神社へ。菊舎はここへは、寛政12年(1800)48歳の正月に七絃琴を携え詣でています。萩城下の南の出口にあたる地にあり、城下から旅立つ者は必ず立ち寄り、また藩主や毛利家が参勤交代に立つ前には道中の安全を祈願したというところです。ちょうど当代の宮司さんもいらっしゃり、拝殿の中も詳しくご説明いただきました。


 次は樹々亭跡・吉田松陰生誕地を見学。ここは萩藩士八谷直人(聴雨)の別荘に逗留中の菊舎が「樹々亭」と命名し、因果は廻り天保元年(1830)には松陰が生まれています。今年は明治維新150年ということで、維新にばかりスポットライトが当たりますが、その背景・風土を忘れてはいけません!菊舎は大事なところに絡んでいたわけです。松陰神社・松下村塾も見学した後、料亭高大で「はぎ御膳」の昼食。藩校明倫館跡を整備した萩・明倫学舎を見て研修終了。道の駅萩往還に立ち寄りバスは一路新山口駅へ。新幹線に乗る人を降ろして小月駅経由豊北町までそれぞれの帰路につきました。

 樹々亭跡(松陰生誕地)にて
 (吉村 ひとみ)    2018年7月13日 

研究会だより 20186月 水無月


 先月開催された「もっと知りたい菊舎の世界」に於いて、レベッカ・コールベットさんと私の「お茶の楽しみ」と題して対談が実現しました。

 レベッカさんは、昨年に続き二度目の来関。下関はすっかり彼女のお気に入りの場所となりました。日本史の研究者として菊舎に出会い、菊舎の魅力を世界に発信したいという彼女の意欲に私たちも大いに触発されました。

 菊舎が茶道に熱をあげたことは、すでにご存じの事と思います。兄弟子の百茶坊に「俳諧という本道を忘れるな」とたしなめられるほど・・。しかし、彼女にとっては人と人を繋ぐ大事なコミニュケーションツールだったということがよくわかります。それも一通りではなく、とてもきめ細やかな配慮がなされた完成度の高いものです。
 特にレベッカさんが取り上げていたのが、 菊舎が子供たちを集めて開いた初茶会。豆茶人たちが退屈しないように、遊び道具も持参するようにと書き添えた茶会への案内状には、慈愛が見てとれます。どの茶会記も楽しく客と一座を建立する菊舎の姿が眼前に浮かびますが、やはり、将来ある子供たちへの視点は特別と言えるでしょう。

 最近レベッカさんが研究発表した主旨(日本語訳)をご紹介します。

  「お茶の楽しみ」
  尼僧田上菊舎(1753−1826)は茶道、書、画、七絃琴をたしなみ、更に幅広い分野の詩歌−俳諧、和歌、漢詩−に優れた文人である。彼女の茶会記は、その多くは彼女の30年にも及ぶ旅の空での茶の湯を含めるものだが、彼女の茶の極めて高いレベルへの到達を知らしめる。晩年、菊舎は出身地の長府に戻るが、そこでの茶の湯の集まりには地域の子供たちを参加させた。5歳から8歳の男女の子供たちは亭主菊舎の下、客として連なり、茶の湯のほか、俳句を詠み、書を行った。これらの活動は、遊びと子供たちへの啓発を主とする茶の湯の一世界を示唆している。それは江戸期茶の湯文化の従来知られなかった新領域を示すものである。


俳諧のみならず、また行脚だけの人生でもなく、総合芸術家としての菊舎の存在がまた一つ浮き彫りになってきたように思います。今回、会場ににわか仕立ての茶室を設営。端午の節句を主眼に道具組をしました。青嵐吹く五月に「落とし文」と薄茶をいただきながら、茶人菊舎に思いを馳せ、そして、レベッカ女史とは、いつか菊舎が残した茶会記の再現茶会をしたいねとお互いの夢を語り合いました。

 (吉村 ひとみ)    2018年6月17日 

研究会だより 2018年1月  『菊舎慕情』が再版されました!

菊舎顕彰会のHPをご覧の皆様、新年おめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。


 さて、研究会だよりも約半年更新が滞っていましたが、年が明けてようやく私の重い腰が上がりました。今日は菊舎関連書籍の出版情報をお知らせします。

 菊舎顕彰会の岡会長の著書『菊舎慕情』は、平成25年に刊行されましたが、各方面から好評を得て在庫が出尽くし、昨年秋、再版されることが決まり、年末には印刷も出来上がりました。初版の発行後わかった事や最新の写真等も入れてより読みやすく菊舎にアプローチする格好の入門書となっています。是非、この機会にお求めいただきますよう、また、すでにお持ちの方も含めてよろしくお願いいたします。研究会のメンバーも、初版の時に写真及び図版の製作、校正や編集の協力をしていますので、思い入れ深い書籍。もちろん再版が決まってもう一度読み直して気付きを洗い出していますが、自分たちが携わったものが世に出て成長していくことを実感するという感慨深い仕事でした。

 生涯の多くの時間を行脚に暮らした菊舎。暑さ寒さにどのように対処したのでしょうか。旅衣も垢にまみれ埃をかぶり、足元は素足に草鞋だったのか(時には足袋もはいたでしょうが・・)。あんまり寒いと持病のぜんそくも悪化したでしょうに。暖房なくしては一日も過ごせない現代人はここ数日の寒波に悲鳴を上げっぱなしです。今夜はおでんで胃袋から温めて、炬燵で丸くなることにします。皆様もお風邪引かれませんよう、どうぞ、お大事に!

 (吉村 ひとみ)    2018年1月10日 

研究会だより 20176月  ゆかり二題

梅雨に入りましたがあまり雨が降らず、このままでは夏の渇水が心配になってきたところですが、ようやく少しずつ降ってきました。皆様お変わりございませんか。
 今回の研究会だよりでは、菊舎ゆかりの事柄を二つご紹介します。

 まず一つ目。この6月3日から下関市立歴史博物館で「女流文人田上菊舎〜江戸の女子旅」が始まりました。展示は、1章:旅立ち、2章:菊舎、江戸へ、3章:菊舎、九州へ、4章:菊舎、京・大坂・奈良へ、5章:菊舎を支えた故郷という風に分けてありました。菊舎の動向を年次を追って見ることができました。
 熱心に見入っているお客さんも多いということで、関心の高さがうかがえます。その展示を先日福岡から菊舎の末裔にあたる本荘家のご当主夫妻がお越しになりご覧になりました。本荘家が所蔵されている菊舎資料が多数出展されていて、感慨深げに観覧されていたのが印象的でした。この資料も代々の本荘家の方が大切に保存して下さっていたからこそのものです。顕彰会の事もいつも気にかけて下さっていて、私達の活動を温かく応援して下さっています。本当に有難い事と感謝です。展覧会は、7月30日までありますので、どなた様もお見逃し無いよう、長府の歴史博物館へお出かけください。



 そして二つ目。6月18・19日で、今年度の会員研修旅行が行われました。菊舎ゆかりの地めぐりも19回目を迎え、今回は長崎県の島原・雲仙へ。
 18日午前8時、快晴のもとバスは菊舎の生誕地豊北町を出発。小月駅で市内・県内からの参加者を乗せ小月インターから高速道路に入り、九州自動車道・長崎自動車道を経て諫早へ。諫早の昼食会場には、東京・高知からの合流組も到着して総勢33名の参加者となりました。立派な眼鏡橋も車窓から見学して、まずは雲仙市国見の神代小路・鍋島邸を見学。重要伝統的建造物群保存地区に選定されている町並みは、本当に静かな時が流れていると感じました。その後、雲仙を目指します。菊舎は、35歳のとき(1787年)「熊本から島原にわたり温泉山にのぼる」と記しています。私達は雲仙山満明寺に参ったり、地獄めぐりをしたりしてお宿に入りました。東園というおしどり池湖畔の静かなところでした。夕食会は皆さんの自己紹介などもあって和やかに楽しく、お料理も美味しくいただきました。かんざらしもつるんとして美味しかったです。温泉が気持ちよかったのは言うまでもありません。

 神代小路・鍋島邸


 翌19日も快晴。朝9時に宿を出発して平成新山ネイチャーセンターへ。標高700メートルの地にある雲仙のお宿から、くねくねと九十九折りの坂を下って来て水無川の火砕流が流れ下った場所も見ました。そしてまゆやまロードに入って、ようやく目的のセンターです。平成新山をバックに記念写真を撮影しましたが、残念なことに山頂は雲隠れ・・。菊舎40歳の時に眉山は崩壊(1792年)。「島原大変肥後迷惑」という言葉が生まれたと言います。1990年に普賢岳が噴火したのは記憶に新しく、自然の驚異との共存に人間がいかに知恵を働かせて来たかに思いを致しました。

 平成新山


 それから旧島原藩薬園跡を見学。漢方薬のもととなる植物も植えられており、もっとゆっくり見たいのですが、時間が迫ってきましたので次の島原武家屋敷へと急ぎます。武家屋敷の通路の中央には旧藩時代に生活用水として守られてきた水路があります。今もきれいな水がさらさらと流れ、ちょっと手を入れてみると冷たい!湧水庭園「四明荘」へも行きました。島原特有の湧水を配した住宅庭園で、古参ガイドの名調子も鮮やかに、水の惑星・地球の自然の恵みにあらためて気付かされたところです。

 島原武家屋敷  四明荘


 鯉のおよぐ街には美味しいお菓子も多く、アーケード商店街でちょっとお買い物。いい記念になりました。最後は、具雑煮の昼食です。
30度近くに気温が上昇してきましたが、名物を食べないわけにはいきません。汗をかきかき上品なあご出汁の具雑煮をいただきました。なんでも発祥は島原の乱に由来するとか。帰路は、多比良港から長洲港へのフェリーに乗船。菊舎44歳の時(1796年)、長洲浦から諫早に渡してもらうよう船頭に頼んだのに、約束を破られ多比良に降ろされ、別の船に乗せ換えられ海は荒れ七絃琴を抱きかかえて、もはやこれまで故郷の父母のことがしきりと心にかかると菊舎は言っていましたが、私達は大きなフェリーなので揺れも無く皆さんとおしゃべりしているうちに長洲港に到着。九州自動車道をひた走り小月インターまであっという間に帰ってきました。
 旅吟は総数137句。初めて俳句に挑戦したという方もあり、その熱意に頭が下がります。車中笑いが絶えず、皆様に助けられての2日間でした。33名の参加者も一人として怪我人も病人も無く、雨にもあわず無事帰着できたことに感激しております。研修旅行にあたり、お力添えいただいた関係各位にもお礼申し上げます。有難うございました。

 (吉村 ひとみ)    2017年6月20日 

研究会だより 〜さつき茶会〜 20175月

皆さんこんにちは。
春が駆け足で過ぎ、早くも夏がやって来た今日この頃です。
さて、今回の研究会だよりは、楽しいご報告です。先日、アメリカからレベッカさんをお迎えして、我が茅屋の茶室でさつき茶会を開きました。レベッカさんについて詳しいことは、『一字庵だより頭陀袋』をご覧ください。
 菊舎が長年親しんだ茶道。楽しくて仕方がない、という雰囲気が伝わる茶会記の数々が残されています。 レベッカさんは、菊舎の茶事についてものすごく勉強されていて、研究ノートに掲載された拙稿「菊舎の茶会記を読む(上・中・下)」も参考文献として扱ってくださっています。ご自身は、日本に留学していた時、ホームステイ先のご縁で裏千家茶道を学び始められたそうです。私も同じく裏千家のお稽古をしていますので、作法も滞りなく、本当に楽しい時間を過ごすことができました。彼女の茶道の腕前は相当なものとお見受けしました。お互い、茶道を通して菊舎に思いを馳せ、いつか、菊舎が残した茶会記で「再現茶会」ができたらいいね、と盛り上がりました。
 私も茶道に入門して30年余。今回、レベッカさんという茶道と菊舎を愛する人とのご縁により、また一歩、数寄者としての境地に近づいたような気がしています。このひと時を与えて下さった、岡会長や顕彰会の外人担当係の磯部さんに心から感謝します。
 当日の茶会記は以下の通りです。旅に暮らし旅に遊んだ菊舎を感じていただければ幸いです。(横書きご容赦ください)


さつき茶会  会記
            平成29年5月19日(金)
              亭 主:宗 美
              正 客:レベッカ
              次 客:清 昭
              三 客:昌 子
               詰 :多恵子
    薄茶席
  待合床  昇雲筆 鯉の画
    本 席
  床    大亀和尚筆 横物 露堂々
  花    姫萱草 矢筈芒
  花入   竹 銘松籟
  香合   青貝入六角山水 大真造
  釜    真形 浜松地紋 勘渓造
  風炉   唐銅朝鮮 宗秀造
  棚    鵬雲斎家元好 山雲
  水指   近江八景 押小路窯
  薄器   千鳥蒔絵平 稲舟造
  茶杓   昌道作 銘夢
  茶碗   御本 銘双珠 臨水造
  替    萩 十一代休雪造
  蓋置   唐銅 駅鈴
  建水   唐銅 槍の鞘
  主菓子  藤波 松琴堂製
  菓子器  萩四方皿
  干菓子  みすゞ飴 和三盆
  菓子器  つぼつぼ透かし四方盆
  薄茶   幾久の昔 福寿園詰

菊舎の里 HPより
 (吉村 ひとみ)    2017年5月28日 

研究会だより 20173月

桃の節句を迎え、街のあちこちにお雛様の飾りが見られます。
久方ぶりの研究会だよりです。皆様にはいかがお過ごしでしたか。
 研究会メンバーもそれぞれに多忙を極め、なかなか一堂に集まることができなかったのですが、先日、主要メンバーが集まって今年の活動方針を話し合いました。顕彰会行事への協力、新出資料の精査・保存・記録等今までと変わりません。また、楽しみなゆかりの地を巡る研修旅行は、6月18・19日です。調査・下見も昨年末に行いました。ふるってご参加ください。
 好評を博している俳句相撲は、8月20日。「下関場所」と銘打って長府庭園書院で行われますので、こちらにもどうぞご参加ください。お手元には今年の会報、入会ご案内が届くと思いますので、引き続きご支援の程よろしくお願いいたします。

 さて、私はというと毎年の恒例行事、地元王喜小学校の6年生を自宅にお迎えしての「春を祝うお茶会」を催したところです。これは、卒業式を前にした6年生に日本文化の入り口をご紹介し、これから歩むであろう人生を感性豊かに過ごしてほしいと思って続けているものです。こちらの様子は、王喜小学校のHPをご参照ください。
 ⇒ http://kam.edu.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/~ouki_s/

 ところで菊舎さんは文化14年(1817)正月5日、親戚の子供たちを初茶会に招いています。茶会には案内状を出しますが、この子供たちにも回文を書きます。正客に中川小鶴(5歳)、二客に椋梨嘉代(7歳)、三客に本庄一郎(7歳)、そして詰に椋梨文太郎(9歳)という客組み。案内状は2日前の日付で「明後五日にはお茶を差し上げますから、みんな揃っていらっしゃいね」という内容ですが、子供向けというよりは、茶事の基本を踏まえた大人扱いの立派な文面です。そして添え書きには豆茶人が退屈しないよう、遊び道具も持参するようにと菊舎さんらしい配慮です。
 菊舎さんの遊び心にはまだまだ到達しませんが、私も12歳の子供たちがはたして何を感じてくれるか、気を抜くことは無く、準備に余念はありません。しかし、これも翻って自分自身の修業。20年近く続けていますが、その年の世相を入れて日本文化につながるお話もしています。今年の話題は、「ピコ太郎」。これをまともにやったのでは、児童が騒ぎ出してしまいますので、国立劇場版の「PNSP」(ペン・塗三方・三方・ペン)をやってみました。筆やお三方を持ち出して説明。国立劇場では、日本伝統の歌舞伎や邦楽などの普及振興をしている話、養成講座もあるよ、というお話にまで及びました。日本文化に興味を持ってくれたかなあ・・?ちょっぴり苦くても美味しい!と笑顔になってくれた小学生たちと楽しく時間を過ごしました。
 いっぺんに30名以上の呈茶。水屋を手伝ってくれる裏方さんにも感謝です。そして、子供たちに輝かしい未来あれ!と願うばかりです。

 
王喜小学校のHPより
 (吉村 ひとみ)    2017年3月5日 

研究会だより 2016年

暑中お見舞い申し上げます。
 今年の夏も厳しい暑さとなっていますが、皆様には、お変わりありませんか。私達、菊舎研究会のメンバーも、暑い暑いと言いながらもなんとか頑張っております。
 さて、この一か月いろいろな行事が続きました。6月下旬の一泊会員研修旅行と7月18日の俳句相撲大会つくの場所です。どちらも事前準備が大事で、昨年来、岡会長をはじめとした担当スタッフが関係先と協議を重ね万端遺漏無きよう進めてきました。おかげ様で二つの行事は無事に終わり、これも皆様方のあたたかいご支援とご協力の賜物と心よりお礼申し上げます。
 さて、この二つの行事が終わって思うところあり、今日はこの研究会だよりを書いています。というのも、感動する出来事がたくさんあったからです。

 一つ目。今年のゆかりの地めぐりは、広島県福山市と岡山県倉敷市。下津井に行ったとき、目の前には下津井瀬戸大橋がよく見えました。この橋の姿、イメージ的に菊舎の地元下関と対岸の門司をつなぐ関門橋とよく似ているなあ・・、と思いました。それもそのはず、この瀬戸大橋を建造した工事責任者の方は、関門橋を作った方で、その名も大橋昭光さんとおっしゃる長径間吊り橋建設の第一人者。関門橋建設のため、昭和42年から約7年間下関市に居住。当時を振り返って、昭和59年(1984)発行の『市民グラフしものせき』(下関市広報広聴課)には、次のように寄稿しておられます。

  ・・満十年を迎えた関門橋が、市民の皆様にかわいがっていただいている様子を見るにつけ、将来の本州四国連絡橋につなげるための技術開発をもう一つの目的として、日夜ひたむきに仕事に打ち込んだ昔の若さを懐かしむ思いがこみあげてきます。下関を離れ、しばらく東京にいましたが、昭和55年に尾道に赴任、本四公団最初の吊り橋である因島大橋を完成させ、関門橋の記録を十年目に自分の手で更新することになりました。
このたび岡山市に移り、児島・坂出ルートの建設を担当することになりましたが、このルートには吊り橋が三橋もあり、関門橋の子孫たちは、多島美を誇る瀬戸内海で、やがてその雄姿を見せることになります。・・


 私が中学生の時、関門橋が開通しました。その日の感動は今も忘れることができません。その関門橋の次世代の橋を、時を経て菊舎ゆかりの地下津井で見ることができ、本当に嬉しく思いました。

  関門橋


  二つ目。やはりこの研修旅行中の福山城散策の自由時間に、福山美術館に行きました。折しも今年2016年は福山市制100年。常設展示室では福山市章「コウモリマーク」を選んだ建築家武田五一(18721938)の展示をしていました。「関西の近代建築の父」と言われる武田氏は福山市出身で、主な業績としては、近代における最初の茶室研究、初めての意匠設計の学術的な研究、セセッション(分離派)やアール・ヌーヴォ―、グラスゴー派の日本への紹介・導入、京都高等工芸学校(現、京都工芸繊維大学)における図案学教育の確立等々。そして、特筆すべきは旧山口県庁・山口県会議事堂(現、県政資料館)の建築です。私達の身近にも彼の作品がありました。こちらの施設もつい最近創建100周年を迎えたというセレモニーが行われました。2020年に行われる東京オリンピックのマークは、すったもんだで素晴らしいデザインが選ばれましたが、100年前には彼の弟子で当時京都高等工芸学校の助教授であった画家の間部時雄の蝙蝠を山の形にしたデザインが当選、武田が選んで福山市章に決定したのでした。

  福山市章


 そして三つ目は、俳句相撲つくの場所でのこと。当日は晴天に恵まれ、会場のホテル西長門リゾートからは、海士が瀬戸と角島大橋がよく見えました。出場者・多数の観客の皆さんとスタッフは一体となり共に楽しい時間を過ごしました。地元豊北高校の生徒さんも健闘して会場を盛り上げてくれました。まさに「風雅に老若男女貴賤都鄙の差別なし」ということを実感した瞬間です。
菊舎研究会は、平成15年に山口県立美術館で行われた生誕250年記念田上菊舎展に合わせて発行された図録『雲遊の尼 田上菊舎』の編集チームが母体となっています。集まった菊舎資料がこのままではもったいない、整理して記録に残しておく必要があるとまずパソコンに打ち込む作業から始まりました。そして、その成果は研究ノートで逐次発表され、膨大な資料も一定程度まとまってきました。毎年の企画展でも研究会メンバーが運営に参加しています。小さなことでも一つ一つ積み上げて行って、振り返れば大きな山になっている・・、過去をしっかり調査研究すること、それは未来への橋渡し・・。
その昔、菊舎が「この地に風雅の繁茂せんこと」を願っていた心と現在の私たちの心も同じです。岡会長のもと、これからも頑張って参りますので、応援よろしくお願いたします。
最後になりましたが、暑さの折、皆様、くれぐれも熱中症にはお気を付け下さいね。

生誕250年記念
田上菊舎展


 (吉村 ひとみ)    2016年7月27日
 
研究会だより 20166

平成28年6月24・25日、今年度の菊舎ゆかりの地めぐりが行われました。
今回は、瀬戸内海のちょうど真ん中、燧灘に面した鞆の浦、そして瀬戸大橋が間近に見える下津井です。共に潮待ち風待ちの港、古くから海上交通の要衝として栄えたところです。
 映画やドラマのロケ地として脚光を浴びている話題満載の鞆の浦。裏路地を歩いていくともうそこは江戸時代・・。常夜灯や雁木は菊舎が見ていたもの・・、この景観を守って下さるご苦労に頭が下がります。地元ガイドさんの楽しい話に耳を傾けているうちに、皆さん苦も無く歩いていらっしゃいました。
 夜は恒例の懇親会で、美味しいお料理をいただきながらにぎやかに盛り上がりました。海を臨む温泉で英気を養い、鞆の浦の夜を満喫しました。
 2日目は下津井へ。バス車中では旅行吟の披露もあり、次々に名句が生まれます。その昔、風を待っていては芭蕉百回忌取越法要に間に合わないと菊舎は下津井で船を下りて陸路京を目指します。交通手段の乏しい時代、歩いてでも京に行こうという菊舎の心意気は、誰もまねできません。私達は、今も江戸時代の面影の残る「むかし下津井回船問屋」の展示を見学。タコの干物のイメージばかり強かった下津井港でしたが、往時の繁栄ぶりを感じるいい勉強ができました。続いて藤戸寺へ。ちょうど、沙羅の花を見る会が行われており、参詣者も多数でした。平家物語の一説を紐解きながら藤戸合戦に思いを馳せ、菊舎も訪れた境内を後にしました。ついでに藤戸饅頭も購入。素朴な味わいでした。
 最後は、福山城を見学です。天守閣は見えているのに、サザエの殻のようにぐるぐる回っていかないとたどり着きません。それが御城というもの。いつもは新幹線車窓からお城を見上げていますが、今回はお城の方からホームに停車中の新幹線を見ました。復元された草戸千軒も歴史博物館で見学。折しも福山市は今年市制100周年を迎えるとのこと。グッドタイミングの研修地。歴史とバラと鯛といずれも楽しみました。
 梅雨時期の旅ですので、雨の心配は付き物です。直前まで大雨洪水警報が発令されていましたので、出発しても気をもんでいましたが、研修旅行の2日間は、一度も雨傘をささずに済みました。奇跡です!32名の参加者もどなたもお元気で無事楽しく過ごすことができました。皆様のご協力に感謝します。また、お会いしましょう。どうぞ、ごきげんよう!

 (吉村 ひとみ)    2016年6月26日
 
研究会だより 新年

菊舎顕彰会ホームページをご覧の皆様、明けましておめでとうございます。
昨年に引き続き、今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
 月日の流れは超スピード、もう七草粥の日がやって来ました。

   両の手に乗せて給仕や薺粥    菊舎

年末年始の疲れた胃腸にやさしい食事を摂って、正月気分も一新、平常活動に邁進いたします。
さて、毎年ご好評をいただいていた「菊舎研究ノート」は昨年の第10号をもって発行を終えました。「なぜやめるのか、研究会メンバーが高齢化して身動きが出来なくなったのでは」とのご心配もありましたが、安心して下さい!私たち研究会のメンバーはまだまだ元気、それどころか現役世代の一員としてしっかり働いております。ということで、これまで通りの菊舎資料の発掘・検証、菊舎ゆかりの地の探索はもちろんのこと、インターネットでの発信にも力を入れていく予定です。顕彰会の行事にも加勢してまいりますので、変わらぬご贔屓の程、お願いいたします。
さて、昨年末、次回の会員研修旅行の下見に行ってきました。岡会長・古川副会長と私吉村の3名の旅がらす。前回の研修旅行終わりに次回の行先を「九州方面」と予告しましたのでそう期待していらっしゃる方もあるかもしれませんが、予定は予告なしに変更もありますということで、菊舎ゆかりの地を網羅していくうえで、どうしても見ておきたい場所があり、そちらを優先しようということになりました。1月末の理事会で決定ののち詳しいことは会報でお知らせします。場所はどこか?ヒント・・中国地方・瀬戸内海を望む潮待ちの港町・・。江戸の風情が残る素敵なところ・・。鯛が美味しい・・。なんだか、ミステリーツアーのようになりましたが、今年も皆さんとご一緒して楽しい旅ができるように準備していきたいと思いますので、どうぞ、お楽しみにお待ちください。
皆様方のこの一年のご健勝・ご多幸を祈念しております。

 (吉村 ひとみ)    2016年1月7日
 
研究会だより 2015年秋

菊舎顕彰会ホームページをご覧の皆様、こんにちは。秋空が広がる爽やかな季節になってきました。お元気にお過ごしのことと思います。
 さて、先日菊舎顕彰会は「俳句相撲・長府場所」を開催しました。大相撲は、テレビ等でお馴染みですが「俳句相撲」は珍しく、出場者・観客・スタッフそれぞれの立場で、新たなる体験をしました。
 会場は、長府製作所記念館「蛍遊苑」。事前に登録された子供から大人までの12チームでのトーナメント戦です。出場者には自分たちで「四股名」をつけて応募してもらいました。これも名付けの妙です。当日、クジ引きで対戦順が決まり、子供の部・大人の部ともに勝ち上がった一組が横綱になるというものです。
 ホールの床に赤い綱でぐるりと円を描いて土俵ができ、呼び出しが東西の力士の四股名を読み上げ俳句が登場。古式ゆかしい装束に身を包んだ行司が、「ハッケヨーイ、残った!」と声をかけると、観客の皆さんが東西どちらの俳句がよいか判定します。この時観客の皆さんには手持ちの赤・青の団扇をあげていただくのですが、間髪いれない素早い動作に行司も思わず力が入り、高々と軍配をあげ大きな声で勝ち名乗りを発声していました。団扇の数が微妙な時は審判の判定となります。何番かそんな場面もあったのですが、迫真の勝負に会場も大いに湧きました。
 菊舎研究会のメンバーは、今春から俳句相撲の準備を始めました。岡会長の号令のもと、「俳句相撲・長府場所」にかかわる諸道具・衣装などを作製。幟旗や、菊舎俳句手ぬぐいを縫い合わせた法被は、相撲の雰囲気を醸しだします。かくいう私も、「呼び出し」の役をいただきましたので、五月場所・名古屋場所の放送を食い入るように見て勉強、また、ユーチューブの呼び出しさんの映像を繰り返し見て猛特訓です。当日は、会場の隅々まで声が届くようにと一生懸命つとめました。お客様の拍手にも助けられ、「千秋楽」を告げた時には、ホッとしました。岡会長以下、顕彰会役員や会員の奉仕で無事「長府場所」が終わりました。
出場者の方から面白かった、次も出たいとの感想をいただきました。観客の方も楽しいイベントで是非ともまた見たいと。これも出場希望者・協賛会社やお客様のご協力あってこそ。来年は、どこかへ巡業に出るかも?応援よろしくお願いいたします。
さて、俳句相撲と同じ日に、菊舎の歌CDが発売となりました。中でも、「聞いてみよっ」は、自佑人さんの作詞、田名網奈央子さん作曲でやさしい印象の歌です。何度も聞きましたので、私も車を運転しながら鼻歌で歌っています。覚えやすい歌なので、いつか皆さんとご一緒に歌いたいですね。このCDは『菊のしずく』『聞いてみよっ』『その一歩』の3曲入りで1000円です。購入ご希望の方は、菊舎顕彰会までご連絡ください。こちらもよろしくお願いいたします。
研究会の活動も多種多様。多くの人と楽しく交流した菊舎の心をお伝えするべく、まだまだ頑張ります。皆様、また、お目にかかる日まで、どうぞごきげんよう。

 
 (吉村 ひとみ)    2015年9月15日
 
研究会だより 2015年7月

菊舎顕彰会のホームページをご覧の皆様、こんにちは。
段々暑くなってきましたが、いかがお過ごしですか。梅雨の大雨も台風の襲来と共に心配ですね。ちょうどいいぐらいの降雨と被害が少ないことを祈るばかりです。
 さて、先月末、恒例の菊舎ゆかりの地めぐりの研修旅行へ行ってきました。この度は、菊舎の第二の故郷ともいえる『美濃』です。研修旅行も岐阜方面へは早い時期に行っていましたが、再建なった獅子庵への訪問も加えて再度の旅路です。
 628日早朝、菊舎の故郷田耕を出発。新幹線小倉駅からのぞみ号に乗車。途中、新山口駅や京都駅でメンバーが合流して一路、岐阜へ(全37名)。一旦、今夜のお宿十八楼に荷物を置き、北野コースと鵜飼ミュージアムコースにわかれてそれぞれ見学。北野コースでは各務支考ゆかりの寺大智寺へ。

  大智寺
  獅子庵


 獅子庵では、美濃派現宗匠大野鵠士先生はじめ、当地の俳人の方が待っていてくださいました。また、鵜飼ミュージアムコースでは、鵜飼のあれこれを学習し、鵜匠さんの家が立ち並ぶあたりをそぞろ歩いて人鵜一体の生活を実感。菊舎も投宿したという専応寺にも立ち寄りました。もう目の前が長良川。対岸には金華山頂に岐阜城が見え、いやが上にも今夜の鵜飼が待たれます。

  長良川


 みんな揃ってお宿で夕食をいただき、いざ、鵜飼舟に乗船。6艘の鵜匠の舟は、鵜匠の見事な手縄さばきと鵜の働きぶりを見せつつあっという間に遠ざかってきました。芭蕉が言うところの「やがて悲しき・・」ということがしみじみ胸に迫りました。
 翌朝は4時過ぎからもう晴天の気配です。朝風呂を楽しみ、朝食もたっぷりいただき、大垣へ。奥の細道結びの地記念館を見学。芭蕉の足跡を逆コースで追っかけた菊舎の気持ちが少しわかったかな?菊舎はたった一人でこの道を歩いたんだなあ・・、とあらためてその行動力に敬服です。それから関ヶ原の古戦場跡へも行きました。徳川家康の陣地跡を歩いてみましたが、400年以上風雨にさらされた土地には、もう何も戦いの気配はなく、こんなところで戦っていたのかと「天下分け目の関ヶ原」もたいしたことないなあ、と特段の感激もありませんでした(笑)。最後は、菊舎が訪れた妙応寺へ。羅漢像や日本一長い関ヶ原合戦絵図を拝見し、精進料理もいただきました。呼吸を整え、心を整え、ゆったりした気持ちで野菜一つ一つに滋味を感じ誠に美味しくいただきました。

 妙応寺


 旅行中の投句は、100句以上ありました。バス車中では楽しい表彰式も。皆さんから次の研修旅行の予定を聞かれました。只今、次の候補地・見学先を鋭意検討中です。どうぞ、お楽しみにお待ちくださいね。
 今回の研修旅行でもいろいろな方に大変お世話になりました。また、ご参加の皆さんも一人のけが人も病人も無く、また、2日間とも一滴の雨も降りませんでした。偶然とは言え、その翌日には新幹線火災事故がおこり、私たちが予定通り無事帰宅できたことは、得難いご縁に恵まれたと心から感謝しております。有難うございました。

またお目にかかる日まで、どうぞ、ごきげんよう!

 (吉村 ひとみ)    2015年7月15日
 
研究会だより 2015年春

待ちに待った春です。桜の花もほころび始めました。

この冬は本当に寒くて、灯油ストーブを愛用している我が家、18リットルタンク、22本購入しました。灯油価格が安い時期もあったので、少し家計が助かりました。ストーブの上でお湯が沸くので、お湯はもちろん土鍋でご飯やお粥・お豆を炊いたり、鍋物もたくさん食べました。エネルギーの有効利用です。

閑話休題、菊舎研究ノートの第10号が出来上がりました。研究ノートの発行は今号を持って終了します。最終号は研究員が総力を結集して力作を作りました。またこの最終号では遠く海を渡り大英博物館が所有している菊舎関係資料の目録も紹介しています。是非、ご購入のほどお願い申し上げます。

研究会の活動も10年以上が経過。山あり谷ありの活動でしたが、皆菊舎の魅力にひかれ、また岡会長のお人柄にひかれて楽しく過ごしてきました。研究ノートは一応の区切りですが、研究活動はこれからも続きます。詳細は研究ノート第10号に菊舎研究会の事を載せていますので、お読みいただければ幸いです。

平成27年度の顕彰会活動は会報にも載せていますが、いろいろな面から菊舎の魅力をたくさんの方々に知っていただきたく、歌や俳句相撲などのイベントでもお楽しみいただくことにしています。研修旅行もすでにたくさんのお申し込みをいただいています。研究会も行事のサポートができるように頑張っていきたいと思います。

これからも末永くよろしくお願いいたします。

 (吉村 ひとみ)    2015年3月26日
 
研究会だより 2014年9月
 菊舎顕彰会のホームページをご覧の皆様、こんにちは。いかがお過ごしですか。
早くも9月に入りましたが、今年は暑い夏があったのか、なかったのか。下関でも雨降りが続き、すっきりしないお天気でしたが、我が庭のススキはちゃんと穂を出し、季節は確実に進んでいることをしめしています。
 この夏、菊舎顕彰会は、菊舎忌190回忌取越法要を行いました。それに合わせて行事も企画され、たくさんの参加者を得て無事終了しました。平成26年8月24日(日)に行われたこの度の法要では、菊舎の末裔にあたる本荘家からもご当主が参列され、長府金屋町の徳応寺本堂にて、しめやかに執り行われました。また、境内の菊舎の墓にもお参りし、句碑の解説もありました。午後からは、会場を長府庭園に移し、献句・追善香・献吟・対談と盛りだくさんでした。中でも、福島県在住の会員・安藤美知子さん、また、米国アトランタエモリー大学准教授クラウリーさんと岡会長とのお話も心にしみるものでした。安藤さんの菊舎に寄せる篤い思い、また、研究者としてのクラウリーさんの深く鋭い視点。いずれにしても、菊舎を敬愛する人たちの豊かな感受性、慈愛に満ちた言葉の数々に感動し、研究会のメンバーも大いに刺激を受け、菊舎の魅力をあらためて感じた一日でした。

 菊舎忌をつとめたその数日後、岡会長・古川副会長と私は、岐阜方面へ現地調査・取材に赴きました。岐阜は菊舎が入門した美濃派の本拠地。顕彰会としては旅立ちの地にはすでに訪れていますが、この度はより一層の成果を求めて、再取材となりました。
 新幹線で名古屋まで行き、東海道線で岐阜まで戻って岐阜駅でレンタカーを調達し、まず再建なった獅子庵を訪ねました。

 獅子庵

 現獅子門道統大野鵠士先生や美濃派のメンバーの方にもお会いしお話を聞きました。

 大野先生たちと

 さて、岐阜といえば鵜飼。長良川畔の宿に泊まって次の研修旅行のリサーチを開始。岐阜での見どころ、味どころを確かめました。
 次の日は市立歴史博物館で菊舎時代の文献を調査。菊舎の句がありましたので、早速撮影。データに収めました。
 岐阜市歴史博物館

さらに、大垣方面へ。途中、中山道の宿場を通りつつ江戸時代の名残を探します。柏原宿ではやいとうどんなるものを食べ、大汗・・。
 柏原宿

 また、菊舎が訪ねたお寺では、彼女が見たであろう宝物も拝見することが出来ました。最終日は大垣市奥の細道むすびの地記念館を見学、芭蕉さんにあこがれ逆コースではありますが奥の細道を歩いた菊舎の旅ごころを感じることが出来ました。
 奥の細道むすびの地記念館

 2泊3日の慌ただしい取材旅行ではありましたが、江戸時代をぐっと身近に引き寄せた濃厚な時間でした。帰宅して旅装を解き、キャリーバッグから洗濯物を出しながら、ふと美濃垂井で師傘狂を待ち受け、垢にまみれた師匠の旅衣を甲斐甲斐しく洗濯する菊舎の姿が目の前に浮かびました。ウフフ・・、と思わず一人笑いです。
 今回の旅も予想以上の成果が上がりました。各地でお世話になった方々に、この場を借りて厚くお礼申し上げます。そして会員の皆様、来年の研修旅行の予定発表まで、今しばらくお待ちください。只今鋭意計画中。どうぞお楽しみに、乞うご期待!
 (吉村 ひとみ)    2014年9月15日
 
研究会だより 2014年7月
 菊舎顕彰会のホームページをご覧の皆さん、こんにちは。うっとうしい梅雨時、いかがお過ごしでしょうか。
さて、先日菊舎顕彰会では今年度の研修旅行を行いました。ゆかりの地めぐりも会を重ねて16回目。今回は九州方面へ出かけ、有意義な2日間を過ごしました。
平成26年6月8日(日)早朝、貸し切りバスで菊舎生誕の地豊北町を出発。途中で小月駅、小倉駅で合流する参加者を乗せて合計28名の大人の修学旅行が始まりました。

まず、大分県中津市の正行寺へ。ここは菊舎と交流があった雲華上人の寺で菊舎も訪れているところ。本堂の大きな柱、庫裏の藩主御成りの間や広い境内に歴史を感じる大変立派なところでした。菊舎さんのファンになりましたとおっしゃるお坊守様のお話も楽しく、お土産にといただいた梅干しには、「雲華梅」と書かれていて、そのお塩梅のよろしかったこと、お心づくしに感謝した次第です。

昼食は、大分にちなんでだご汁を。梅雨といえどもお天気に恵まれ、気温はぐんぐん上昇。皆汗をかきつつもご当地料理を食べていました。
午後からは、同じく大分県の杵築市へ。ここは、江戸時代の城下町さながら街並みを保存しており、坂道や修復された武家屋敷などは、見ごたえのあるものでした。家老の屋敷でお抹茶を一服。江戸千家流の先生がその日の当番でご奉仕していらっしゃいました。歩き疲れていた人たちも、お茶で元気を回復、それから本日のお宿へとバスは進みました。

途中何度か休憩をはさみながら、熊本県へ入り阿蘇内牧温泉へ。この度は与謝野晶子・鉄幹夫妻が泊まったというゆかりの「蘇山郷」に宿泊。温泉のお湯に浸かって疲れを癒し、おいしい料理とともに宴会は和やかに行われました。
翌朝は、阿蘇草千里へ。馬に乗る人あり、火山博物館に入る人あり。その昔、菊舎も火を噴く阿蘇山を見て感動しています。260年後の私たちも同じ・・。草原の上を渡る風は、心地よく私は思わず寝っ転がってしまいました。地球の歴史をちょっと感じたかなあ・・。
阿蘇山に名残を惜しみつつ、今度は山鹿市へ。山鹿の八千代座・灯篭資料館を見学しました。八千代座は菊舎の時代にはありませんが、そばを通る豊前街道はその当時の道幅のまま。参勤交代のお殿様もお通りだった道。菊舎も歩いたところと思えば足も軽くなります。

昼食には、熊本名物の太平燕をこれも汗だくで食べ、次は玉名市へ。玉名は菊舎も歌仙を巻いたところ。高瀬裏川水際公園の花菖蒲を鑑賞して本行程は終了。お天気で気温も30度に上がっていましたので、皆さんの健康状態を心配しましたが、一人の体調不良もなく、無事に帰還しました。この2日間で提出された俳句は200句を超えました。
おかげさまで、今回も好評のうちに終わることができました。早くも、「来年はいつ?どこ?」とお問い合わせをいただき、研修部も計画を練っているところです。また、皆さんに楽しくご参加いただけるように頑張ってまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
では、ごきげんよう、さようなら。
 
   会員研修部長(吉村 ひとみ)    2014年7月1日
 
研究会だより 2013年10月
  菊舎顕彰会ホームページを御覧の皆様、こんにちは。
今年の夏は、本当に暑かったですね。お彼岸過ぎても暑かったです。ようやく、このごろ過ごしやすくなってきたという感じですが、案外冬が早くやってきそうな気配です!
 さて、菊舎顕彰会の恒例行事、会員研修旅行も先月9月23・24日、40名の参加者を得て無事終了しました。今回は近江路、琵琶湖の下辺を廻り大阪住吉大社で締めくくる1泊2日の旅でした。
 第1日目、9月23日(月・祝)早朝、菊舎の故郷下関市豊北町を出発。新幹線のぞみ号に小倉駅から乗車、途中新山口駅で10名合流、広島駅では駅弁も積み込み腹ごしらえも済ませて新大阪駅まで。ここでまた関東・関西方面からのメンバーが合流。新大阪駅からは貸し切りバスで移動。はじめての参加者もあり、初対面の挨拶もそこそこに、いざ、草津本陣へ。ここでも2名合流。
 草津本陣は、旧東海道と旧中山道の分岐点。今もその面影を残す宿場跡が見学できます。「下に〜下に〜」と大名行列が通ったであろう狭い道幅の道路をしばらく歩くと、本陣があります。大名がお泊りや昼食休憩に使った宿は、やはり立派でした。中でも、上段の間の雪隠は、奥ゆかしく感じられるほど・・。しばし、江戸時代の雰囲気に浸りました。
 

 次に大津市にある義仲寺。ここは、木曽義仲の墓所、また、義仲を慕った松尾芭蕉の墓所でもあります。一時は広い境内を持ち、参詣者も多くにぎやかだったようですが、今は市街地の狭い一隅となっていて、見過ごしてしまいそうな感じさえあります。旧東海道に面した門をくぐれば、そこには芭蕉の花が。何年かに一度しか咲かない花だそうで、バナナに似た花を珍しく観賞しました。境内は狭くとも、芭蕉の面影を感じるには絶好の地。芭蕉翁を慕った菊舎。その気持ちが少しわかったような気がしました。
 

 義仲寺の見学を終え、次は大津港から琵琶湖クルーズへ。夕刻迫る琵琶湖を堪能しました。時はまさに秋分。ちょうど真西に沈む太陽を見ることができました。比叡山の方向です。1時間ほどのクルーズでしたが、琵琶湖の大きさから言えば、まだ10分の1しか廻ってないことになるそうで、日本一の湖にはまだまだ計り知れない魅力があるのだということですね。
 1日目の行程を終え、今日のお宿大津プリンスホテルへ。夕食会でみなさんとたのしい時間を過ごしました。ここでは、伊賀上野からの参加者も合流して都合40名となりました。2時間の宴会の間、1時間45分はそれぞれの会員さんの自己紹介。珍しいお話・愉快なエピソード、おいしい料理と御酒で盛り上がりました。和気藹々としたところでお開きとなり、夜半にはホテルの高層階の客室から十九夜(寝待月)の月が良く見え、きらきらと湖面に照り映えている景色には、感激しました。
 翌朝、朝焼けの琵琶湖にまた感動。早朝より湖畔を散策する方がたくさんいらっしゃいました。朝食も済ませ、いざ、浮御堂へ。湖畔の眺めとともに琵琶湖へ張り出したような建物には、見覚えのある方もたくさんいらっしゃるでしょう。
 

 続いて、唐崎神社へ。大きく左右に枝が張る松の姿には圧倒されました。今ある松の樹齢はさほどでもないようですが、さすが近江八景に数えられるだけあって風情があり、松の匂いも爽やかにとても立派な枝ぶりでした。

 その後、勢田の唐橋を渡り阪神高速道を通って一路大阪住吉大社へ。ここは日本全国の住吉宮の総本社です。下関市在住の私は、下関市一の宮町にある住吉神社(長門一ノ宮)には幼少の頃より慣れ親しみ、太鼓橋も何度も渡りましたが、大阪住吉大社の太鼓橋の大きさにはびっくりしました。朱塗りの欄干を撫でながら、よじのぼるようにして向こう側へ。社殿を廻り、大きな松や石灯籠の数々を眺め、往時より海上交通の守り神だった住吉の神様に思いを致しました。古式ゆかしい巫女さんたちの装束には、神聖な気持ちを呼び起こされました。
 

 住吉大社で、今回の見学箇所は終了。俳句の旅吟も締め切りです。1泊2日の行程中、提出された俳句は、なんと200句以上。俳句を詠む人あり、拍手専門要員ありです。最後は、大阪市中道頓堀のホテルで中華料理の昼食をいただきました。ここで、旅吟俳句の表彰式です。爆笑のうちにも、菊舎の心に触れた2日間の近江の旅を振り返りました。

 新大阪駅で解散、名残を惜しみつつ次回の研修旅行での再会を約しました。新幹線のぞみ号に乗車して家路へ向かう途中でも、楽しかったみなさんとの交流を思い出し、こうやって菊舎さんも各地の知人友人と交流を深めて行ったのだなあと感じました。
 2日間、天候にも恵まれ、また、病人も無く、参加者皆さんのご協力を得て無事研修旅行が終了したことを、心より御礼申し上げます。次回もどうぞ、よろしくお願い申しあげます。 
  会員研修部長(吉村 ひとみ)    2013年10月21日

研究会だより 2013年7月
 平成25年7月7日(日)、菊舎顕彰会の行事『七夕特別企画』において、競馬香を実施しました。
競馬というと、競馬場を疾走するサラブレッドやギャンブルに興じる面々を思い浮かべる方も多いと思いますが、この競馬香は由緒正しき日本古来の伝統に由来する遊びです。菊舎も京都においてお公家さんたちと交流していますので、競馬香は目にする機会はあったのではないかと思っています。

 京都三大祭の一つ、葵祭の一環で行われる競馬会(くらべうまえ)神事。上賀茂神社の境内、一の鳥居から本殿に行くまでに広い芝生が広がっていますが、そこが競馬会神事が行われる馬場です。赤方・黒方の二頭立てで、柵⇒埒(らち)が設けられた直線コースで、馬の遅速を競うものです。その様子を香道に取り入れたのが『競馬香』香道では、盤物とよばれるものの一つで、競馬香をするときには、普段の香点前道具に競馬人形が加わります。お香を聞きあてた数だけ馬が進み、ゴールの青楓のところに早く到達したほうの勝ちとなります。
 今回の競馬香では、菊舎顕彰会員N氏が作成した競馬人形を使用しました。普通、競馬人形は博物館に収蔵されているようなお宝ですが、Nさんはいともたやすく人形を拵えて下さいました。この場をかりて厚く御礼申し上げます。
 さて、当日は12時から競馬香を開始しました。今回の連衆は赤方・黒方それぞれ4名、都合8名がお香を聞きます。香点前をする香元は、翠風流師範のK子さん。馬を動かす盤者は私、翠風流師範の吉村ひとみが務めました。競馬香では、たくさんのお香を聞きます。試香3種(本香ではそれぞれ×3包=9包)、本香ではそれにもう1種(1包)加わり、都合10回香炉が回りました。本香1炉ごとに香札を打ち、正解が発表されます(ここで1炉ごとに答え合わせ)。連衆は各々10枚の香札をあらかじめ持っていますので、これぞ、と思う答えを札筒に入れていきますが、札は回収することは出来ませんので間違った答えを出してしまうと、だんだん思うような手札が残りません。聞きようはあっているのに、正解を答えられないというジレンマ、次第にあせってくることもありますが、これも修業のうちです。1炉ごとに正解した人数分ほど競馬人形が動きます。このたびは初心者も含んだお席でしたので、両チームあわせて一人聞きのときボーナスポイント3コマ進む、という分かりやすくも楽しいルールにしました。お香を聞くという個人戦でもあり、馬の遅速を競うという団体戦でもあります。途中、赤方がかなりリードしていたのですが、終盤、黒方が差を詰め、10炉目には黒方が一人聞きでボーナスポイントを獲得、するするっとゴール前で逆転!会場のお客様たちも拍手喝采で大盛り上がりでした。
 香席が満ちたあとは、会場からたくさんのご質問もいただきました。これを機会に、もっと香道に親しんでいただけたらと願っています。来年は午年なので、競馬人形も出番が増えるかも知れませんね!
 (吉村 ひとみ)    2013年7月21日

研究会だより 2012年6月

去る6月17日(日)、今年度の研修旅行で佐賀県へ行ってきました。
梅雨のはざ間の、奇跡的に晴天に恵まれた一日でした。今回は27名の参加、初めての方もおなじみの方もバスにゆられて和気藹々、楽しく菊舎の足跡をたどりました。
 最初の見学場所は、多久市にある多久聖廟。菊舎も見上げたであろう孔子廟の前に、一同並んで孔子の教えに思いを馳せ、うっそうとした森にこだまする鳥の声や池に咲くハスの花に心を寄せました。昼食会場への道すがら、小城羊羹の店へも立ち寄りお土産を物色。
午後は、佐賀城歴史館へ。江戸末期の形に復元された大広間をぞろぞろ歩きました。ちょうど昼下がりの時間帯で、日中の最高気温30度に達しようとしていた頃、城門前での記念撮影もまぶしさとの戦い。鼻の頭がちょっと日焼けしました。お堀端には、菊舎が佐賀に逗留していたときにお世話になった方の屋敷址があります。跡形は何も残っておらず、今はその地に大きなビルが建っていますが、位置関係がわかっただけでも収穫でした。
最後は、佐賀鍋島家の菩提寺高伝寺へ。住職さんから大きな涅槃図の修復のことなどをお聞きし、梅の実が残る広い墓所の間を散策しました。
前後に一日ずれても大変な豪雨に見舞われるところでしたが、お蔭様を持ちまして無事研修旅行が終了しました。ご参加の皆様、ご協力関係各位様に深く御礼申し上げます。有難うございました。
来年は、滋賀県へ。琵琶湖の周りをご案内する予定です。たくさんのご参加、お待ちしております。
 (吉村 ひとみ)    2012年6月20日
 佐賀城・鯱の門

研究会だより 春 2012年4

菊舎顕彰会のホームページを御覧の皆様、こんにちは。
寒かった冬も終わり、ついに待ちに待った春がやってきました。気温も上昇、桜の花もほころび始めました。お花見が楽しみですね。
菊舎顕彰会では4月1日に「菊舎研究ノート」第7号を発行。申し込みをされた方には、近いうちにお届けする予定です。未だお申し込みでない方は顕彰会のホームページからも注文できますので、お知らせ下さい。今号も、調査報告や行程検証その5、佐賀紀行、毛利元義との俳諧、てくてく旅など盛りだくさんの内容です。是非、たくさんの方に御覧いただきたいと思います。
さて、菊舎研究会の最近の活動としては、「菊舎研究ノート」第7号の編集、加えて3月上旬には神奈川県湘南方面の現地調査に行ってきました。旧東海道の面影が残るところを探して歩いたのですが、このごろはその気配すら無くなってきているので古いものを見つける難しさをあらためて実感しました。今回は小田原・大磯・箱根あたりを巡りました。小田原のういろう屋、大磯の鴫立庵などを見学。また、江戸の昔も旅人は温泉で疲れを癒したのだろうなあと思いながら箱根の湯に浸かって一休み。箱根の関所は復元されて見学できるようになっていましたので、当時の雰囲気は何となくわかります。菊舎もきっとドキドキしながら関所を通過する順番を待っていたのだろうなあ・・。芦ノ湖のほとり、背の高い杉並木が続き旧街道の道幅を実感する事ができました。ですが、雨がかなり強く降って徒歩歩きには適しませんでした。その上、期待した富士の雄姿は全然見えずがっかり。でも、峠道の途中の甘酒茶屋に立ち寄ると、そこはもう江戸時代そのままに・・。朝早い時間でしたが囲炉裏には火が入り、煙りでいぶされた大きな柱や梁、茅葺き屋根には嬉しくなりました。そこでは鶯の「ホーホケキョ」と鳴く声が一段と大きく響いて聞こえました。この現地取材は会員研修旅行の下見も兼ねていますので、ずいぶん先の話ですが(現在のところ2年後か?)菊舎ゆかりの地めぐりにご案内できればと思っています。
今年の会員研修旅行は、6月17日(日)佐賀に日帰りバス旅行です。多久聖廟や佐賀城跡本丸歴史館などにご案内します。まだお席に余裕があります。どうぞ、奮ってご参加下さいますよう。
紫外線も春は一段と強いそうで、色白を良しとする筆者には難儀な季節になりました。長年行脚を続け、日焼けして艶光りした菊舎さんには「ハッハッハッ」と笑われそうですが、庭に萌えいずる若草・古草、それに裏山の筍と格闘する日々。日焼け止めクリームと大き目の帽子などの紫外線対策グッズは、この強い春日にはどなたにも必需品だと思うのですが・・。
 (吉村 ひとみ)    2012年4月1日
 箱根関所(箱根町)


研究会だより 2012年

立春を過ぎ、木の芽起こしの雨で草木にも彩りが出てきたようです。
研究会だよりを御覧の皆様、こんにちは。いつもご愛読ありがとうございます。新年になってあっという間に一ヶ月が過ぎてしまいましたが、今年もよろしくお願いします。
年末年始、皆さんはいかがお過ごしでしたか?何十年ぶりかの寒波や積雪、お風邪を召された方も多かった事でしょう。不肖私も滅多にひかない風邪をご丁寧に2度もひき、知恵熱?まで出して、おとなしくせざるをえませんでした。ですが、24時間稼働中の菊舎研究会のこと、メンバーの活動は怠りなく続いておりました。
 昨年11月には念願の「菊舎すごろく」を発売。たちまち人気となりテレビニュースや新聞などで度々取り上げられました。顕彰会では今まで子供向けの菊舎関連書籍がなかったので、今回は子供から大人まで楽しめるものをということで製作したのですが、これが大好評。下関市内の公立小学校・幼稚園・保育所に寄贈。大変喜ばれて児童たちも熱心に取り組んで、早くも菊舎の俳句を暗唱してくれています。小さいころから俳句のリズムに親しむ事は、言葉を大切にする上でも大事な事。このすごろくをきっかけに菊舎に関心を持ってくれれば、顕彰会としても嬉しい限りです。
 さて、昨日は今年最初の菊舎研究会がありました。次号研究ノートの原稿最終調整で、各々の原稿を違う人の目で点検して検討協議、にぎやかに編集会議を終え、菊舎研究ノート第7号の素が出来上がりました。近時印刷所に回りますが、発行は4月1日の予定です。今回も多種多様な原稿が出揃いました。どうぞご期待下さい。
 研究会終了後、役員会が行われ、平成24年度の事業計画が決定しました。これから随時お伝えしていく事になりますが、また、会員募集の時期がやってきますので、こちらもどうぞ、よろしくお願いいたします。皆様からの会費で成り立っている顕彰会の活動です。いつもたくさんの方に応援していただき誠にありがとうございます。引き続きのご支援・ご協力を重ねてお願い申し上げます。今年の会員研修旅行は日帰りバス旅行。6月17日(日)佐賀へご案内します。詳細は会報でお知らせしますので、お早めにお申し込み下さい。

 春は名のみの・・と歌にありますが、本当に日差しは春・・。ですが、気温はまだまだ低く、寒さがぶり返すときもあります。お風邪などひかれませんよう、皆さんくれぐれもお大事になさって下さい。
解て行物みな青しはるの雪    菊舎」   『手折菊』より
  (吉村 ひとみ)    2012年2月6日


研究会だより 2011年11

菊舎顕彰会ホームページを御覧の皆様、こんにちは。
日中の陽ざしは暖かくても、朝夕はぐっと冷え込むようになりました。如何お過ごしでしょう。菊舎の故郷田耕も一段と紅葉が進み、山の景色も彩り豊かになってきました。
さて、このたび今年度の山口県文化功労賞を菊舎顕彰会の岡昌子会長が受賞されました。(詳細は山口県のホームページを御覧下さい。)長年にわたる菊舎の顕彰活動が評価されたもので、役員をはじめ私たち菊舎研究会のメンバーも大変喜んでおります。顕彰会員の皆様にもご報告をと思い、お知らせする次第です。
 岡会長は、平成9年田上菊舎の文台を継承、一字庵十一世となり、同時に菊舎顕彰会長となられました。菊舎顕彰会は、地元有志により昭和31年に設立されたものです。地域の人々に支えられて活動を続けるものの、人口減少著しい地方都市では存続はなかなか難しいところではありましたが、岡女史は会長就任後、顕彰会を再結成新たに会員を募集して菊舎再評価のための調査研究に乗り出しました。現存する古文書の整理・修復、解読や新資料の発見に力を入れ、これまで知られていなかった菊舎の詳細が明らかになってきました。そうして集められた資料は平成15年の山口県立美術館での「菊舎生誕250年記念・旅する女流文人田上菊舎展」へとつながりました。その展覧会にあわせて発行された『図録』の編集チームは後に菊舎研究会へと発展。現在も『菊舎研究ノート』などを発行しています。また、菊舎の旅の跡をたどる「ゆかりの地めぐり」は10回以上、京都はもちろん東は姨捨山・西は長崎まで毎回好評を博しています。こうした活動は、なにより菊舎の魅力をたくさんの方に伝えたいという岡会長の熱意あってこそ。地域文化の担い手として、表彰された事は誠にうれしいことです。
現在、顕彰会の会員は地元下関市のみならず山口県内外、日本全国に及んでいます。ひとえに会員の皆様方のご支援のたまものと御礼申し上げます。これからも菊舎顕彰会にご声援、ご協力よろしくお願いいたします。

 この11月、『菊舎すごろく』を発行しました。菊舎の旅の跡をたどって楽しく遊べるとても親しみやすいものです。こちらもよろしくお願いいたします!
 (吉村 ひとみ)    2011年11月15日


研究会だより 2011年 秋

菊舎顕彰会のホームページを御覧の皆様、こんにちは。いつもご愛読いただき有難うございます。
猛暑の今夏を如何お過ごしでしたか?熱帯夜が続き、寝苦しい夜が何日もありました。9月に入ってやっと涼風が吹いたと思ったら、今度は台風の被害が相次ぎ、これもまた心配なことです。菊舎の生まれ故郷、下関市豊北町は梨の産地。ちょうど梨の収穫期で、台風の被害を最小限に抑えたいと、生産農家はフル回転で作業をしていたとか。美味しいものをいただいて、初めて分かる生産者のご苦労です。
さて、地元下関市の広報紙、「市報しものせき」2011年9月号に菊舎顕彰会が取り上げられていますのでお知らせします。『元気まち物語』というコーナーで、顕彰会の概要と研究会のメンバーが集まって活動しているところや俳句会の様子が写真で紹介されています。取材の記者さんは、下関市広報広聴課の職員の方ですが、菊舎研究会の例会や俳句会にも足を運んで私達にインタビュー。いろいろと感心しながら熱心に取材をして、いい記事が出来上がっています。市内の各世帯に配布されますので、これまで菊舎顕彰会、または田上菊舎をご存知なかった方も関心を持ってくださるきっかけになれば、と思います。
本州の西端に位置する下関市ですが、菊舎を愛してくださる方の輪は、地元だけにとどまらずどんどん広がっています。今年3月11日の東日本大震災の被害にあわれた福島県にお住まいの菊舎ファンの方からは、「菊舎のことを知っていてよかった。私の心の支えになっている。地震は怖かったけれどなんとか乗り越えられる」と力強いメッセージをいただき、逆に私達が励まされました。
今年、顕彰会では「菊舎双六」を発行予定で、只今鋭意作成中です。11月中旬には出来上がります。また11月17日には下関市豊北町滝部に「下関市立豊北歴史民俗資料館」がリニューアルオープンします。建物は近代建築の文化財です。開館時には展示室に於いて、菊舎の作品が紹介されます。菊舎ゆかりの地での展示ですので御覧いただければ幸いです。菊舎双六もどうぞ、お楽しみに!
 (吉村 ひとみ)    2011年9月5日


研究会だより 2011年 夏

暑中お見舞い申し上げます。
菊舎顕彰会ホームページ御覧の皆様、お暑うございます。このところ猛暑日が続いていますが、いかがお過ごしですか。例年よりも早い梅雨明け、加えて節電で早くも熱中症で病院通いの方もおありでしょう。くれぐれもお大事にお過ごし下さい。
さて、7月上旬、研究会では今年度の現地調査で、近江・美濃方面へ出かけてきました。この現地調査は会員研修旅行の下見も兼ねていますので、いずれ皆様をご案内することになりますが、まずは、現存する菊舎ゆかりの史跡・名勝を記録に留めるべく、取材に奔走しました。(岡会長・真鍋・吉村の3名)
近江の国では、琵琶湖の南端周辺部を回りました。浮御堂・唐崎の松・三井寺・義仲寺・勢田の唐橋など。また草津宿本陣では、江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥りました。街道筋の道しるべに、往時菊舎がてくてく歩いていた姿が重なります。真夏の太陽が照りつける時刻、人影もなくひっそりとしているところが多く、現代人にはあまり関心が無いようなところですが、江戸の面影を探す私達には垂涎の場所ばかり・・。琵琶湖の周辺は私もとても気に入りました。湖面を渡る風に吹かれて散策、一幅の絵を見るようです。美濃の国では、谷汲山へ。西国三十三観音霊場の結びの地、満願成就の立て札もあちこちに見受けられました。また、岐阜市の長良川前のお寺は、菊舎も長逗留したところ。現存の本堂は菊舎が訪れた後の建築ですが、昔は長良川を望む位置に離れがあって、絵師や旅の客人を泊めていたとか。今はその離れがあった場所には違うものが建ってしまっていますが、菊舎が喜んで泊まっていたことは想像に難くありません。鵜飼の舟が眼前を行くのですから、俳人にとっては格好の場所です。風流は伝統とも密接に関係するものですね。
日中の最高気温が35度になった岐阜では、さすがに少々ぐったりしていましたが、菊舎ゆかりの場所での発見は、点滴を注射するより良く効く薬・・。無理をせず、適切に休憩を入れながら、無事現地調査を終え帰ってきました。皆さんも、今年の夏を上手に乗り切って下さい。食欲のないときには、菊舎の時代と同じく、梅干しと番茶が案外いいようですよ。
 (吉村 ひとみ)    2011年7月17日
唐崎の松(大津市)


 研修旅行報告

平成23年6月5日・6日の2日間、今年度の会員研修旅行に行ってきました。
俳聖松尾芭蕉の生誕地伊賀上野をはじめ、江戸の昔菊舎が訪れた三重県内のゆかりの地を廻りました。
今回の研修の参加者は、35名。地元下関以外からの参加も多く、全員が集合したのは新大阪駅。ここから貸し切りバスに乗車、まず伊賀市上野へ。蓑虫庵芭蕉翁生家の2か所を見学。蕉門服部土芳の居宅で芭蕉が詠んだ句から「蓑虫庵」と名付けられたとか。夏木立の中に建つ草庵も芭蕉堂も皆熱心に見学していました。続いて芭蕉翁生家では江戸時代の建物を懐かしく感じながらも、潜り戸の低い鴨居に頭をぶつけないように気をつけて見学しました。
次は亀山市関へ。関宿は東海道の宿場町ですが当時の姿を最も色濃く残しているところ。町並みをそぞろ歩いて、江戸の風情を満喫。保存のための地元の方たちの協力は多大なものだということも感じました。
宿泊は、長島温泉にて。今回は初参加の会員さんも多いため、会員交流も兼ねてにぎやかな夕食会となりました。それぞれの自己紹介で盛り上がり、盃を重ね宴果てる頃には、みなすっかり打ち解けていました。温泉で一日の疲れを癒しぐっすり休んだ翌朝は気分も新たに桑名市内へ。揖斐川沿いをたどって浜の地蔵堂を見学。次は七里の渡し跡九華公園・桑名城跡を散策。七里の渡しは江戸時代の東海道の渡し場の跡。はるかに宮宿熱田を望むところにあり、揖斐川の川幅の広さ、治水工事の歴史に感心。昔の人の暮らしの知恵にも頭が下がります。また、菖蒲の花咲く九華公園では、緑陰を求めてしばし休憩。いろいろな種類・銘の付いた花菖蒲を心ゆくまで観賞しました。桑名に来たらやっぱり「ハマグリ」だろうと、最後にハマグリ尽しの蛤御膳をいただきました。「名物に美味いもの無し」とは良く聞く話ですが、今回は違いました。おいしいハマグリを堪能しました。
楽しかった研修旅行もあっという間に終わりました。梅雨時ゆえ傘の準備も万全にしていたのですが、幸いお天気に恵まれ一度も雨傘をさすことはありませんでした。この旅行中の旅吟投句数は2日間で約200句。芭蕉翁を偲び、菊舎の旅心に思いを致してたくさんの名句が生まれました。参加者もまたの出会いを期して、名古屋駅で解散。西に東にと家路に着きました。
参加者の皆さんのご協力、関係各位様のご尽力のおかげで事故なく無事終了いたしました。心より御礼申し上げます。有難うございました。
 (吉村 ひとみ)    2011年6月7日
七里の渡し跡(桑名市)

ホームページ閲覧御礼
〜訪問者数最高記録を更新しました〜

菊舎顕彰会の公式ホームページを御覧の皆様、こんにちは。
いつもこのサイトを御覧いただき有難うございます。2006年3月1日に公開を開始して以来、たくさんの方に閲覧していただき、お励ましや、貴重なご意見も寄せられ、私達も大変ありがたく思っています。
さて、このたびNHK教育テレビ「心の時代」で、菊舎のことが取り上げられ『天地に自在たり』というタイトルで放送されました。たくさんの方に御覧いただいたようで、2010年10月10日(日)の放送日には、一日あたりのホームページ訪問者は、これまでの記録を更新して623件に達しました。早朝の放送時間帯でしたので、少し心配していたのですが、さすが全国ネット、北は北海道から南は鹿児島まで放送終了後から続々と顕彰会には電話・ファックス・電子メールが寄せられ、いろいろな感想が集まりました。
「衝撃を受けた」「こんな人がいたのを初めて知った」「気持ちが軽くなった」「勇気をもらった」「人としてのありようや生き方を教わった」等々。
そして、書籍の注文もたくさんいただきました。ここに重ねて御礼申し上げます。
私達菊舎研究会は、菊舎顕彰会の中の一つの組織で、会長を中心としてあらゆる角度から菊舎を研究していこうと活動を続けています。毎年、発行している「菊舎研究ノート」の編集や菊舎ゆかりの地の現地取材などを重ね、少しでも菊舎の全貌を明らかにしたいと思っていますが、菊舎は諸国を歩きたくさんの人と交流、そして、たくさんの作品を残した人です。まだまだ、パズルは埋まりませんが、みんな楽しみながらやっています。
これからも鋭意努力して菊舎の魅力を多くの方にお知らせしたいと思いますので、末永くお付き合い下さいますよう、よろしくお願いいたします。
最後に一つお願いです。皆様方のお近くに菊舎ゆかりの逸話や作品が残っていたら是非お知らせ下さい。菊舎顕彰会のデータベースに書き加える史料・情報になればありがたいです。また、ご意見、ご感想、質問等もお気軽にお寄せ下さい。お待ちしています。
 (吉村 ひとみ)    2011年6月6日
番組から

菊舎を追って〜三重

平成22年2月下旬、菊舎研究会の2人が菊舎を追って三重県内を取材しました。
伊賀上野・関宿・亀山宿・桑名と短時間にして濃密な2泊3日の旅でした。
詳細な報告は、来年発行予定の菊舎研究ノート第6号に掲載します。この項では、取材ポイントなど簡単に記しておきます。
伊賀上野はいわずと知れた松尾芭蕉の生誕地。城址公園、俳聖殿、芭蕉記念館、生家、蓑虫庵などを見学。伊賀者が塀の陰から急に出てきて、手裏剣が飛んでくるような楽しいイベントもあるようで、ちょっとタイムスリップしたような気分になるところもありました。
関宿では、旧東海道の町並みがよく残されていて、この道を菊舎も歩いたんだなあ・・と思いつつ、道幅の両側に立ち並ぶお店屋さんをガラス窓から覗き込みながら、ぶらぶらしました。また、亀山宿はあまり昔のものは残っていませんが、東海道の道すがらということで、足を運びました。
桑名では、ほぼ半日旧東海道を歩きまわり、菊舎の時代を髣髴とさせる渡し場などもゆっくり見ました。木曽三川はやはり大きいです。一級河川だけのことはあります。「その手は桑名の焼き蛤だ・・」とよく会話に出てきますが、桑名の蛤の美味しかったこと!私はこんなに美味しいのなら、一泡吹かされても食べたほうがいいと思いました。(笑)
今回は新幹線・高速バス・自家用車・在来線等を利用しましたが、まだまだ、菊舎の全行程には遠く及びません。あらゆる手段を駆使して、一日でも早く菊舎の道のりに到達したいものです。
 (吉村 ひとみ)    2010年3月6日
俳聖殿 (伊賀市)

長崎紀行

 炎暑の中、岡会長と研究員の吉村が、長崎での菊舎の足跡を調査・検証、ゆかりの地の最新の風景もデジカメに収め、基本資料に加えました。詳細は、次号(第4号)の菊舎研究ノートに掲載の予定です。

 平成20年7月22日〜24日、私達2名は長崎市を訪問。一般の観光客が行くような場所にはわき目も振らず、事前の調査資料をもとに尋ね歩きました。気温は30度をはるかに超え、あまりの暑さにスカーフを帽子の上から頬かむりするほど。怪しい2人とおもわれたかも知れません・・。ですが、今回も菊舎の行動半径と興味の幅広さに驚くばかり。菊舎が通ったであろう小路を歩くとき、菊舎と同じ気持ちになっていたように思います。異国情緒漂う長崎。江戸時代の唯一の世界への窓口。進取の気性に富んでいた菊舎には、楽しくて仕方がない場所だったのでしょう。異国人との交流には、その様子が窺えます。

 訪問した場所は次のとおりです。
長崎歴史文化博物館、永昌寺、聖福寺、崇福寺、興福寺、県立図書館、出島、唐人屋敷跡、料亭花月、梅園身代わり天満宮、中の茶屋、稲佐山、孔子廟、諏訪神社等です。
路面電車、バス、タクシーを駆使した移動でした。坂の町長崎は、高いところは眺望がいいのですが、歩くとなるとかなりの健脚が要求されます。またしても、菊舎の健脚ぶりが証明されました。すごいです。ですが、季節のいいとき、ぶらっと歩くのはいいかもしれません。その言葉どおり、“長崎さるく”が似合っています。今度は、皆さんと卓袱料理でも食べてみたいと思います。 
 (吉村 ひとみ)      2008年8月3日


七弦琴と源氏物語

 去る5月25日(日)、菊舎顕彰会の主催行事「菊舎を知る 文人尼の世界」が菊舎ゆかりの寺下関市豊北町田耕の妙久寺で行われました。昼・夜二部構成で七弦琴の演奏と聞香席・呈茶席が設けられました。
会場の妙久寺には、200人を超える来場者、菊舎の愛した七弦琴の音色を楽しもうと、遠くは東京、神戸、福岡からもご参加の方がありました。
「菊舎と七弦琴」については、研究ノート第2号に、「菊舎と源氏物語」については第3号にそれぞれ詳しく記述がありますので、ご参照下さい。

 今年(西暦2008年)は、源氏物語千年紀。巷間に流布して長く愛されている源氏物語ですが、今一度読み直す、もう少し深める機会として、大変良いめぐり合わせであると思います。奈良時代に日本に伝えられた七弦琴は平安時代中期にはほとんど演奏されなくなっていましたが、源氏物語は、その100年前くらいの時代設定で書かれていますので、七弦琴が弾かれていたという内容も納得です。主人公、光源氏は七弦琴の名手。文中では、旅先の無聊を慰めたり、宴の場面に七弦琴を爪弾く様子が描かれます。また、絵図にも七弦琴が残り、「キンのコト」が大切に扱われています。

 今回のイベントでは、私は聞香席を担当させていただきました。菊舎も聞香したであろう事は、想像に難くないのですが、現代の皆様にも平安の雅を体験していただきたいと、「源氏香」を準備しました。源氏香は源氏物語の巻名をあてはめて江戸時代に完成した、組香の古典です。初心者にはかなり難しい要素もあり、うまく聞き分けていただけるかしら、と心配しましたが、さすが菊舎を愛する皆さんは、好奇心旺盛、定員を大幅に上回る参加者を得て、和やかに進行しました。香席は、妙久寺の庫裏に設営されましたが、座敷を回る廊下は、寝殿造りの(ひさし)の間にも似て、立ち昇る伽羅の香、衣ずれの気配、雰囲気は最高に盛り上がり、静かに香を聞く姿はまさに平安の大宮人。源氏香が、当たったか、外れたかは別として、最初は緊張した面持ちだった初体験の方も香を聞くうちに馴染み、香満ちる頃には、思わず紅潮したり、にこやかな表情になったりと感想も様々でした。

 七弦琴の音色を楽しみ、香を聞く。今回は、文人のたしなみをいっぺんに経験する貴重な機会だったと思います。呈茶席には、まさに新茶の季節にふさわしく「山門を出れば日本ぞ茶摘歌」の軸も掛けられ美味しい抹茶・主菓子もいただきました。私の心境としては「余情残心」という言葉がぴったりでした。七弦琴の余韻と残り香に酔いしれ、菊舎の遊び心を垣間見た皐月の一日でした。   
 (吉村 ひとみ)      2008年6月8日


「研究ノート第3号」への感想

『菊舎研究ノート』3号刊行以来、早速、各方面から資料や情報の提供が寄せられ、大変ありがたく、この場を借りてお礼申し上げます。
本日届いた諸先生がたの感想を、ご紹介いたします(抜粋)

☆ 『菊舎研究ノート』3号拝受、一層の充実ぶり、顕彰の実、如実に窺われ、
安楽国の尼君(菊舎尼)も定めしお喜びのことと存じます。・・(吹田市 M師)

☆ 『菊舎研究ノート』3号、お届けいただきありがとうございました。
菊舎研究に情熱をそそいでおられる日々を想い、心から敬服いたしております。
地元から発信される情報ほど大切なものはございません。どうぞ全国のどこの人にも
できない良いお仕事をつづけられるよう、心からおいのりしています。(春日市M女史)

☆ 『菊舎研究ノート』3号の充実した内容に、すこやかに発展する会のお姿を見ました。
  並々ならぬ意気込みを感じ取ることができます。敬意を表します。・・・(佐賀市T師)

―『菊舎研究ノート』3号 入手ご希望の方は切手1000円同封の上顕彰会まで申し込みくださいー 
 (岡 昌子)      2008年4月16日

「研究ノート第3号」の発行によせて

 昨年は、菊舎俳句「薦着ても好な旅なり花の雨」が、朝日新聞連載の「折々のうた」の最終回を飾り、菊舎を知らなかった人々の間に、女性俳人田上菊舎の名が大いに喧伝された。そのため、菊舎とはどんな人物か、菊舎の俳句を読みたいという方が、当ホームページを訪問され、各種のお問い合わせをいただいた。それをご縁に、新たな交流がはじまっていることも有難い。
さて、今年の『菊舎研究ノート』3号は、本日、初校を終え、これから二校、三校と進み、予定通り4月1日発行出来る見通しがたった。研究会員の熱意により、ますます充実した内容となっていて、自画自賛だがすばらしい。
限定品のため早めに入手されることをお勧めしたい。
(1部700円+送料300円)申し込みは菊舎顕彰会まで 
【 内 容 】
  ・新出資料調査報告
   ―改号に係わる考察、菊車から菊舎へ― ほか
  ・ 菊舎の行程検証 その1
   ―行脚出立から、美濃大野傘狂入門まで―
  ・ 住居推論
   ―菊舎はどこに住んでいたか―
  ・ 菊舎の茶会記をよむ (中)
  ・ 菊舎の漢詩 
   ―中国文化へのあこがれ―
  ・ 新しい視点から見た菊舎
   ―卒論を書き終えてー
  ・菊舎資料におけるお金の話 
  ・ 千年紀 源氏物語と菊舎
  ・ 熊本紀行
   ―菊舎を追ってー
  ・ 本願寺日野誕生院の菊舎句碑
  ・ 京都詩仙堂秘蔵七弦琴と菊舎

 (岡 昌子)      2008年3月10日

研修旅行を終えて

 8月26日から28日まで、信州信濃路へ菊舎ゆかりの地めぐりに出かけてきました。
参加者の皆さんのご協力のもと、無事に済みましたことお礼申し上げます。

 江戸の昔、菊舎が訪ねた場所を今回再訪したわけですが、どこもイメージがふくらむいい雰囲気のところばかりでした。ススキの揺れる妻籠宿、昼神温泉、茅葺き屋根の蕎麦処、加舎白雄資料館、炎天下の川中島古戦場、善光寺・堂照坊、姨捨山、戸倉上山田温泉、上田城、成沢雲帯旧宅等々菊舎が訪ねた折の光景が、眼に浮かぶようでした。
また、姨捨山の菊舎と伝五郎さんのエピソードよろしく私たちも今伝五郎さんたちとの楽しい交流をし、今につながるご縁を感謝したことでした。千曲市の皆さん、お世話になりました。

 残暑厳しく、2泊ということで体調管理も心配しましたが、参加者全員事故もなく菊舎追っかけの旅を楽しんでくださったようです。各方面からのご協力を深く感謝いたします。どうもありがとうございました。
(吉村 ひとみ)      2007年8月29日


菊舎の足跡を追って

 昨年12月から、菊舎の足跡を追って三か所の現地調査を行った。長野、熊本、厚狭・防府である。
 200年余前、菊舎が滞杖した地元の寺や有力者たちの跡を訪問した。菊舎自身が書き残したもの、研究会が収集した資料を事前に整理して、各方面に協力要請をしての調査の旅である。菊舎は諸国行脚をした尼であり、交流人物も多岐にわたり、行程もまだ正確には判っていない。そこを少しずつでも探っていこうと研究会員は目指している。
 とはいえ、現地を踏まねば、机上の資料分析では解けないことがあり、各地で菊舎が交流した末裔の方や、その土地にお住まいの菊舎顕彰会員、あるいは地元の学芸員さんなどにご案内を乞う。今回もありがたいご縁ばかりであったが、いつも思うことがある。「現地調査は急がねばならない」。「その土地のことはその土地の人に話を聞く」。長い歳月を経て、現在、往時をしのぶ邸宅・蔵・資料の保存が危機状態にあること。そして、その地の昔のことを知らない人が増えていること。それを痛切に感じる。
 今回の長野、熊本、厚狭・防府の現地調査は、その地その地でよきお方と出会い、献身的なご協力をいただいて、研究会としては大変収穫の多い旅であった。改めて、心よりお礼を申上げる。調査結果は来春発行の「菊舎研究ノート3号」に掲載予定である。
(岡 昌子)      2007年8月15日


最近の研究会の活動から

 4月に、菊舎研究ノート第2号を発行してから2ヶ月。5月6日の総会でノート執筆陣がそろって、パネルディスカッションに参加しました。資料収集の苦労話、原稿書きの様子などを披露し、会場からも質問が多数出され、予定時間を過ぎるほど各種の話題で盛り上がり、また一段と菊舎への関心が深まったと好評でした。
 また、5月末には、研究会員が熊本へ現地調査に赴きました。菊舎の足跡を辿るためです。菊舎の健脚をまたしても実感することになりました。(この調査の詳細は、次号の研究ノートでご紹介の予定)
 先日の6月例会では、以前に投げかけていた資料収集・調査の返信が続々寄せられていることの報告がありました。県内はもとより、遠く新潟県からも貴重な資料が寄せられており、菊舎が歩いた道、出会った人など既知のものに加わる新情報が出てくる可能性を秘めています。
 ノート第3号へ向けての調査や資料集めも、すでに始まっています。研究会で進捗状況を報告したり、みんなで資料の精査をしたりと、研究会はいつもにぎやかに和やかにそして充実した時間を菊舎とともに過ごしています。
(吉村 ひとみ)      2007年6月18日


「研究ノート第2号」の発行によせて

 菊舎研究会が発足して、丸3年。メンバーは親しみを込めて、"菊研"(きくけん)と呼んでいます。例会は月に一度ですが、それだけでは間に合わないこともあり、電話やメールでも情報交換しています。
昨年末の例会の折、研究ノート第2号の編集会議が行われ、編集方針・執筆分担を確認しました。メンバー各人の専門分野、趣味の知識を駆使して、鋭意執筆。それぞれの本業を勤めつつ、サイドワークでの研究ですから、不十分なところもあるかも知れませんが、何とか原稿が集まり、上梓の運びとなりました。
創刊号発行後、たくさんのお問い合わせを頂きました。そして、完売できましたことを改めてお礼申し上げます。お待たせしている第2号は、4月中旬にはお届けできそうです。今号は、菊舎の人間像に迫る渾身の原稿ばかりと自負しています。執筆した研究会員も、執筆しながらまた一歩菊舎に近づいたような気がしています。俳人のみならず、文人、はたまた総合芸術家としての菊舎の真骨頂を少しでも、感じ取っていただければ幸いです。
研究ノート第2号のご予約も多数頂き、ありがとうございます。まもなく刊行ですので、お楽しみにお待ち下さい。菊研は、今日も菊舎資料と格闘しています。
(吉村 ひとみ)      2007年3月28日


「菊舎研究ノート」を発行して

 4月発行の「菊舎研究ノート」をテキストに、5月7日午後、研究発表を行った。菊舎に関心をお持ちの方々が、各地よりお越しになり熱心に聴講くださりありがたいことであった。また、各新聞社が大きく報道したため、「菊舎研究ノート」の購入希望者が殺到して、うれしい悲鳴をあげた。そして、自宅や親戚、知人宅にある菊舎作品の写真や情報を寄せて下さるとともに、あたたかい励ましもいただき感謝している次第である。
 研究会では、それぞれの研究員がすでにテーマを決め、資料整理や調査にかかっている。明年の「菊舎研究ノート」は、菊舎にかかわる系譜、茶事、七弦琴、その他いまだ明らかにされていない資料をもとに、事実を追い求め、興味深い発表が出来ると思われる。これからもみなさまのご支援を仰ぎつつ、研究会メンバー一同、検証作業をつづける所存ですので、よろしくお願いいたします。
2006年5月28日


菊舎と七弦琴

 寛政5(1793) 年秋、江戸を再訪した菊舎(41歳)は、木工屋作左衛門から七弦琴を贈られ、江戸在の薩摩藩士菊地東元に弾琴を学んだ。 その後、京都在の中納言平松時章(琴仙公)や、伊勢の永田蘿道にも弾琴を学んだ。
 文政9(1826)年8月、74歳で亡くなるまで、菊舎は七弦琴を片時も離さないほど愛した。この間、江戸、伊勢、大坂、九州などの琴士たちと交友した。これらの人々の記録に菊舎のことが掲載されている場合がある。
 先日、大坂の鳥海翁雪堂の「鳥海翁琴話」に、菊舎のことが記されていることを、岸邊成雄著「江戸時代の琴士物語」から知った。七弦琴のことはもちろん、菊舎やその他の琴士たちの調査研究書だが、その見事さに感動を覚えた。著者の岸邊先生は、昨年お亡くなりになられたという。もっと早くこの本に出会っていたならば・・・と残念に思った。
 菊舎の足跡は、菊舎自著の稿本や書簡来簡から主に調査するのだが、今回のように交流人物が、菊舎のことを書き留めていてくれることも多い。これからは、むしろ後者の場合が期待される。俳句のほか漢詩・和歌・茶事・七弦琴・書画・鼓など多芸ゆえ、どこから菊舎の名前が挙がってきても不思議ではない。菊舎の全貌追跡に加わっていただけるならば幸いである。
2006年4月19日


「菊舎研究会」の紹介

 菊舎研究会は平成16年4月発足し、メンバーは約10名。毎月集まり、菊舎の軌跡をたどる調査や話し合いを行っている。
 江戸期の菊舎の調査は、行動範囲・交流人物・諸芸など、どれをとっても他に類を見ないスケールの大きさで、いまだ謎の部分も多い。それだけに真相を解明していく楽しみも残されている。新出資料により、これまで不明であった菊舎の旅程や交流人物など、徐々に明らかになっている。
 それらをまとめて近日「研究ノート」を発行する。しかし、まだ日本のいたる所に「菊車」「一字庵」「菊舎」「長門 菊舎」と賛をした書簡、書留、軸物など残存していると考えられる。お目に止まればご一報いただくと幸いである。
 これから、不詳の部分は掲載して、各地の諸賢のご教示を仰ぎ、「人間菊舎」の全貌を解いていきたいと考えている。情報をお寄せ下さい。
☆大坂の人物探し  期間 天明元年(1781)〜文政9年(1826)
一、 馬場栄子      俳号賈玉。ざこや三郎右衛門の妻。堀江に別荘。
               菊舎が弾琴(七弦琴)を教える。
二、 川井不関・歌仙堂 肖翁。 歌人・菊舎の和歌の師。
               文化9年(1812)岸根今宮に歌仙堂を築く
三、 谷清(瀬)兵衛   大坂田簑の島。菊舎の定宿。
四、 寺井種僖      大坂田簑の島
五、 鳥井玉江
六、 山田与兵衛    俳号花孟 大坂江戸堀一丁目 助松屋か山田屋か
七、金屋六郎右衛門  文化12年(1815)年菊舎に鶴毛織を贈る

2006年3月4日

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