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菊舎研究会だより |
| 長崎紀行 |
炎暑の中、岡会長と研究員の吉村が、長崎での菊舎の足跡を調査・検証、ゆかりの地の最新の風景もデジカメに収め、基本資料に加えました。詳細は、次号(第4号)の菊舎研究ノートに掲載の予定です。 平成20年7月22日〜24日、私達2名は長崎市を訪問。一般の観光客が行くような場所にはわき目も振らず、事前の調査資料をもとに尋ね歩きました。気温は30度をはるかに超え、あまりの暑さにスカーフを帽子の上から頬かむりするほど。怪しい2人とおもわれたかも知れません・・。ですが、今回も菊舎の行動半径と興味の幅広さに驚くばかり。菊舎が通ったであろう小路を歩くとき、菊舎と同じ気持ちになっていたように思います。異国情緒漂う長崎。江戸時代の唯一の世界への窓口。進取の気性に富んでいた菊舎には、楽しくて仕方がない場所だったのでしょう。異国人との交流には、その様子が窺えます。 訪問した場所は次のとおりです。 長崎歴史文化博物館、永昌寺、聖福寺、崇福寺、興福寺、県立図書館、出島、唐人屋敷跡、料亭花月、梅園身代わり天満宮、中の茶屋、稲佐山、孔子廟、諏訪神社等です。 路面電車、バス、タクシーを駆使した移動でした。坂の町長崎は、高いところは眺望がいいのですが、歩くとなるとかなりの健脚が要求されます。またしても、菊舎の健脚ぶりが証明されました。すごいです。ですが、季節のいいとき、ぶらっと歩くのはいいかもしれません。その言葉どおり、“長崎さるく”が似合っています。今度は、皆さんと卓袱料理でも食べてみたいと思います。 (吉村 ひとみ) |
| 2008年8月3日 |
| 七弦琴と源氏物語 |
去る5月25日(日)、菊舎顕彰会の主催行事「菊舎を知る 文人尼の世界」が菊舎ゆかりの寺下関市豊北町田耕の妙久寺で行われました。昼・夜二部構成で七弦琴の演奏と聞香席・呈茶席が設けられました。 会場の妙久寺には、200人を超える来場者、菊舎の愛した七弦琴の音色を楽しもうと、遠くは東京、神戸、福岡からもご参加の方がありました。 「菊舎と七弦琴」については、研究ノート第2号に、「菊舎と源氏物語」については第3号にそれぞれ詳しく記述がありますので、ご参照下さい。 今年(西暦2008年)は、源氏物語千年紀。巷間に流布して長く愛されている源氏物語ですが、今一度読み直す、もう少し深める機会として、大変良いめぐり合わせであると思います。奈良時代に日本に伝えられた七弦琴は平安時代中期にはほとんど演奏されなくなっていましたが、源氏物語は、その100年前くらいの時代設定で書かれていますので、七弦琴が弾かれていたという内容も納得です。主人公、光源氏は七弦琴の名手。文中では、旅先の無聊を慰めたり、宴の場面に七弦琴を爪弾く様子が描かれます。また、絵図にも七弦琴が残り、「キンのコト」が大切に扱われています。 今回のイベントでは、私は聞香席を担当させていただきました。菊舎も聞香したであろう事は、想像に難くないのですが、現代の皆様にも平安の雅を体験していただきたいと、「源氏香」を準備しました。源氏香は源氏物語の巻名をあてはめて江戸時代に完成した、組香の古典です。初心者にはかなり難しい要素もあり、うまく聞き分けていただけるかしら、と心配しましたが、さすが菊舎を愛する皆さんは、好奇心旺盛、定員を大幅に上回る参加者を得て、和やかに進行しました。香席は、妙久寺の庫裏に設営されましたが、座敷を回る廊下は、寝殿造りの 七弦琴の音色を楽しみ、香を聞く。今回は、文人のたしなみをいっぺんに経験する貴重な機会だったと思います。呈茶席には、まさに新茶の季節にふさわしく「山門を出れば日本ぞ茶摘歌」の軸も掛けられ美味しい抹茶・主菓子もいただきました。私の心境としては「余情残心」という言葉がぴったりでした。七弦琴の余韻と残り香に酔いしれ、菊舎の遊び心を垣間見た皐月の一日でした。 (吉村 ひとみ) |
| 2008年6月8日 |
| 「研究ノート第3号」への感想 |
『菊舎研究ノート』3号刊行以来、早速、各方面から資料や情報の提供が寄せられ、大変ありがたく、この場を借りてお礼申し上げます。 本日届いた諸先生がたの感想を、ご紹介いたします(抜粋) ☆ 『菊舎研究ノート』3号拝受、一層の充実ぶり、顕彰の実、如実に窺われ、 安楽国の尼君(菊舎尼)も定めしお喜びのことと存じます。・・(吹田市 M師) ☆ 『菊舎研究ノート』3号、お届けいただきありがとうございました。 菊舎研究に情熱をそそいでおられる日々を想い、心から敬服いたしております。 地元から発信される情報ほど大切なものはございません。どうぞ全国のどこの人にも できない良いお仕事をつづけられるよう、心からおいのりしています。(春日市M女史) ☆ 『菊舎研究ノート』3号の充実した内容に、すこやかに発展する会のお姿を見ました。 並々ならぬ意気込みを感じ取ることができます。敬意を表します。・・・(佐賀市T師) ―『菊舎研究ノート』3号 入手ご希望の方は切手1000円同封の上顕彰会まで申し込みくださいー (岡 昌子) |
| 2008年4月16日 |
| 「研究ノート第3号」の発行によせて | |
昨年は、菊舎俳句「薦着ても好な旅なり花の雨」が、朝日新聞連載の「折々のうた」の最終回を飾り、菊舎を知らなかった人々の間に、女性俳人田上菊舎の名が大いに喧伝された。そのため、菊舎とはどんな人物か、菊舎の俳句を読みたいという方が、当ホームページを訪問され、各種のお問い合わせをいただいた。それをご縁に、新たな交流がはじまっていることも有難い。 さて、今年の『菊舎研究ノート』3号は、本日、初校を終え、これから二校、三校と進み、予定通り4月1日発行出来る見通しがたった。研究会員の熱意により、ますます充実した内容となっていて、自画自賛だがすばらしい。 限定品のため早めに入手されることをお勧めしたい。 (1部700円+送料300円)申し込みは菊舎顕彰会まで (岡 昌子)
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| 2008年3月10日 |
| 研修旅行を終えて |
8月26日から28日まで、信州信濃路へ菊舎ゆかりの地めぐりに出かけてきました。 参加者の皆さんのご協力のもと、無事に済みましたことお礼申し上げます。 江戸の昔、菊舎が訪ねた場所を今回再訪したわけですが、どこもイメージがふくらむいい雰囲気のところばかりでした。ススキの揺れる妻籠宿、昼神温泉、茅葺き屋根の蕎麦処、加舎白雄資料館、炎天下の川中島古戦場、善光寺・堂照坊、姨捨山、戸倉上山田温泉、上田城、成沢雲帯旧宅等々菊舎が訪ねた折の光景が、眼に浮かぶようでした。 また、姨捨山の菊舎と伝五郎さんのエピソードよろしく私たちも今伝五郎さんたちとの楽しい交流をし、今につながるご縁を感謝したことでした。千曲市の皆さん、お世話になりました。 残暑厳しく、2泊ということで体調管理も心配しましたが、参加者全員事故もなく菊舎追っかけの旅を楽しんでくださったようです。各方面からのご協力を深く感謝いたします。どうもありがとうございました。 (吉村 ひとみ) |
| 2007年8月29日 |
| 菊舎の足跡を追って |
昨年12月から、菊舎の足跡を追って三か所の現地調査を行った。長野、熊本、厚狭・防府である。 200年余前、菊舎が滞杖した地元の寺や有力者たちの跡を訪問した。菊舎自身が書き残したもの、研究会が収集した資料を事前に整理して、各方面に協力要請をしての調査の旅である。菊舎は諸国行脚をした尼であり、交流人物も多岐にわたり、行程もまだ正確には判っていない。そこを少しずつでも探っていこうと研究会員は目指している。 とはいえ、現地を踏まねば、机上の資料分析では解けないことがあり、各地で菊舎が交流した末裔の方や、その土地にお住まいの菊舎顕彰会員、あるいは地元の学芸員さんなどにご案内を乞う。今回もありがたいご縁ばかりであったが、いつも思うことがある。「現地調査は急がねばならない」。「その土地のことはその土地の人に話を聞く」。長い歳月を経て、現在、往時をしのぶ邸宅・蔵・資料の保存が危機状態にあること。そして、その地の昔のことを知らない人が増えていること。それを痛切に感じる。 今回の長野、熊本、厚狭・防府の現地調査は、その地その地でよきお方と出会い、献身的なご協力をいただいて、研究会としては大変収穫の多い旅であった。改めて、心よりお礼を申上げる。調査結果は来春発行の「菊舎研究ノート3号」に掲載予定である。 (岡 昌子) |
| 2007年8月15日 |
| 最近の研究会の活動から |
4月に、菊舎研究ノート第2号を発行してから2ヶ月。5月6日の総会でノート執筆陣がそろって、パネルディスカッションに参加しました。資料収集の苦労話、原稿書きの様子などを披露し、会場からも質問が多数出され、予定時間を過ぎるほど各種の話題で盛り上がり、また一段と菊舎への関心が深まったと好評でした。 また、5月末には、研究会員が熊本へ現地調査に赴きました。菊舎の足跡を辿るためです。菊舎の健脚をまたしても実感することになりました。(この調査の詳細は、次号の研究ノートでご紹介の予定) 先日の6月例会では、以前に投げかけていた資料収集・調査の返信が続々寄せられていることの報告がありました。県内はもとより、遠く新潟県からも貴重な資料が寄せられており、菊舎が歩いた道、出会った人など既知のものに加わる新情報が出てくる可能性を秘めています。 ノート第3号へ向けての調査や資料集めも、すでに始まっています。研究会で進捗状況を報告したり、みんなで資料の精査をしたりと、研究会はいつもにぎやかに和やかにそして充実した時間を菊舎とともに過ごしています。 (吉村 ひとみ) |
| 2007年6月18日 |
| 「研究ノート第2号」の発行によせて |
菊舎研究会が発足して、丸3年。メンバーは親しみを込めて、"菊研"(きくけん)と呼んでいます。例会は月に一度ですが、それだけでは間に合わないこともあり、電話やメールでも情報交換しています。 昨年末の例会の折、研究ノート第2号の編集会議が行われ、編集方針・執筆分担を確認しました。メンバー各人の専門分野、趣味の知識を駆使して、鋭意執筆。それぞれの本業を勤めつつ、サイドワークでの研究ですから、不十分なところもあるかも知れませんが、何とか原稿が集まり、上梓の運びとなりました。 創刊号発行後、たくさんのお問い合わせを頂きました。そして、完売できましたことを改めてお礼申し上げます。お待たせしている第2号は、4月中旬にはお届けできそうです。今号は、菊舎の人間像に迫る渾身の原稿ばかりと自負しています。執筆した研究会員も、執筆しながらまた一歩菊舎に近づいたような気がしています。俳人のみならず、文人、はたまた総合芸術家としての菊舎の真骨頂を少しでも、感じ取っていただければ幸いです。 研究ノート第2号のご予約も多数頂き、ありがとうございます。まもなく刊行ですので、お楽しみにお待ち下さい。菊研は、今日も菊舎資料と格闘しています。 (吉村 ひとみ) |
| 2007年3月28日 |
| 「菊舎研究ノート」を発行して |
4月発行の「菊舎研究ノート」をテキストに、5月7日午後、研究発表を行った。菊舎に関心をお持ちの方々が、各地よりお越しになり熱心に聴講くださりありがたいことであった。また、各新聞社が大きく報道したため、「菊舎研究ノート」の購入希望者が殺到して、うれしい悲鳴をあげた。そして、自宅や親戚、知人宅にある菊舎作品の写真や情報を寄せて下さるとともに、あたたかい励ましもいただき感謝している次第である。 研究会では、それぞれの研究員がすでにテーマを決め、資料整理や調査にかかっている。明年の「菊舎研究ノート」は、菊舎にかかわる系譜、茶事、七弦琴、その他いまだ明らかにされていない資料をもとに、事実を追い求め、興味深い発表が出来ると思われる。これからもみなさまのご支援を仰ぎつつ、研究会メンバー一同、検証作業をつづける所存ですので、よろしくお願いいたします。 |
| 2006年5月28日 |
| 菊舎と七弦琴 |
寛政5(1793) 年秋、江戸を再訪した菊舎(41歳)は、木工屋作左衛門から七弦琴を贈られ、江戸在の薩摩藩士菊地東元に弾琴を学んだ。 その後、京都在の中納言平松時章(琴仙公)や、伊勢の永田蘿道にも弾琴を学んだ。 文政9(1826)年8月、74歳で亡くなるまで、菊舎は七弦琴を片時も離さないほど愛した。この間、江戸、伊勢、大坂、九州などの琴士たちと交友した。これらの人々の記録に菊舎のことが掲載されている場合がある。 先日、大坂の鳥海翁雪堂の「鳥海翁琴話」に、菊舎のことが記されていることを、岸邊成雄著「江戸時代の琴士物語」から知った。七弦琴のことはもちろん、菊舎やその他の琴士たちの調査研究書だが、その見事さに感動を覚えた。著者の岸邊先生は、昨年お亡くなりになられたという。もっと早くこの本に出会っていたならば・・・と残念に思った。 菊舎の足跡は、菊舎自著の稿本や書簡来簡から主に調査するのだが、今回のように交流人物が、菊舎のことを書き留めていてくれることも多い。これからは、むしろ後者の場合が期待される。俳句のほか漢詩・和歌・茶事・七弦琴・書画・鼓など多芸ゆえ、どこから菊舎の名前が挙がってきても不思議ではない。菊舎の全貌追跡に加わっていただけるならば幸いである。 |
| 2006年4月19日 |
| 「菊舎研究会」の紹介 |
菊舎研究会は平成16年4月発足し、メンバーは約10名。毎月集まり、菊舎の軌跡をたどる調査や話し合いを行っている。 江戸期の菊舎の調査は、行動範囲・交流人物・諸芸など、どれをとっても他に類を見ないスケールの大きさで、いまだ謎の部分も多い。それだけに真相を解明していく楽しみも残されている。新出資料により、これまで不明であった菊舎の旅程や交流人物など、徐々に明らかになっている。 それらをまとめて近日「研究ノート」を発行する。しかし、まだ日本のいたる所に「菊車」「一字庵」「菊舎」「長門 菊舎」と賛をした書簡、書留、軸物など残存していると考えられる。お目に止まればご一報いただくと幸いである。 これから、不詳の部分は掲載して、各地の諸賢のご教示を仰ぎ、「人間菊舎」の全貌を解いていきたいと考えている。情報をお寄せ下さい。 |
| ☆大坂の人物探し 期間 天明元年(1781)〜文政9年(1826) 一、 馬場栄子 俳号賈玉。ざこや三郎右衛門の妻。堀江に別荘。 菊舎が弾琴(七弦琴)を教える。 二、 川井不関・歌仙堂 肖翁。 歌人・菊舎の和歌の師。 文化9年(1812)岸根今宮に歌仙堂を築く 三、 谷清(瀬)兵衛 大坂田簑の島。菊舎の定宿。 四、 寺井種僖 大坂田簑の島 五、 鳥井玉江 六、 山田与兵衛 俳号花孟 大坂江戸堀一丁目 助松屋か山田屋か 七、金屋六郎右衛門 文化12年(1815)年菊舎に鶴毛織を贈る |
| 2006年3月4日 |