菊舎顕彰会では平成12年より毎年、諸国を旅した菊舎の足跡を追って研修旅行を行っております。このページではその記録をご紹介します。
平成12年春・長府 平成12年秋・萩 平成13年秋・田耕 平成14年夏・美濃
(作業中)
日 付  3回目は、菊舎の故郷豊北町田耕(たすき)です。田耕は辺鄙ながら江戸時代より文学の伝統が脈々と伝わり、若い菊舎を育んだ地でもあります。 今回は生誕地ゆかりの家々や句碑めぐりをし、あわせて代々受け継がれてきた一字庵の文台、掛け軸、古俳書などを見ました。
平成13年9月22日
行 先
下関市豊北町田耕
行 程
菊舎生家
 宝暦3年 (1753)10月14日、長門国田耕村杣地に、長府藩士田上由永(のちに本荘了左と改名)の長女としてこの竹田屋敷に生まれる。本名道。母の名はタカ。
白滝山を後ろに、粟野川を前にした自然のゆたかなこの地で元気に育つ。厳しくも優しかった祖父や、幼い妹弟と死別。菊舎16歳の明和5年12月17日、一家は長府印内に屋敷を賜り移住。家屋敷を譲られた人は、田上の姓を受け継ぎ現在に至る。
菊舎句碑 
月を笠に着て遊ばゝや旅のそら
敷しのぶ秋や竹田の稲むしろ
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菊舎婚家
 明和5年 (1768)16歳、田耕村中河内、庄屋村田家の分家村田清左衛門の次男利之助(20歳)に嫁ぐ。(この年の4月11日、長男、重三郎が亡くなっている。)
菊舎の母の実家、上畑の豊田家とは親戚関係(菊舎の母は姑の姪)。
この年の暮、父由永は長府印内(下関市)に屋敷を賜って移住。
安永5年 (1776)7月9日、夫利之助没。享年28歳。道(菊舎)この時24歳。
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一宇庵二世蓁々園桃葉宅
 村田家は代々庄屋をつとめ、四代瀬兵衛の兄は安養寺に、妹は西楽寺に入り、双子の弟は隣に分家し、菊舎の舅。姉は滝部の蒲生家に嫁ぎ、後の鳳林を生む。五代三郎右衛門も俳人。六代儀兵衛は、養子で、俳号は蓁々園桃葉(菊舎命名)。文政7年、菊舎が
勢いも二見に高し松の月
の祝句とともに、秘め置いた文台を開かせたのは、桃葉36歳の秋。桃葉は新しく炉を開き、近郷の俳人とともに、菊舎を囲んで盛んに俳諧興行をした。
桃葉の墓は門弟が建立し
月花の世や寒からず暑からず
の辞世の句が刻まれている。慶応3年9月25日没、78歳。
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田耕公民館・田耕小学校
公民館(旧田耕中学校跡)
一字庵菊舎碑
裏面には、天明元年、菊舎29歳の首途句

月を笠に着て遊ばゝや旅のそら
大正7年4月3日、橘会が建立。和田江海揮毫。
芭蕉句碑
梅が香にのっと日の出る山路哉
美濃派以哉派九世、山本友左坊揮毫。大正2年1月21日夜の激しい風雨の為、碑が転覆し二つに折れたのが残念である。平成10年6月、五千原山中から移転。

田耕小学校

菊舎句碑「故郷や名もおもひ出す草の花
菊舎72歳の文政7年の秋、ふるさと田耕を訪れた折の句。昭和32年5月建立。山口の汲古堂東桃園揮毫。この前年に一字庵八世福澄風浪子が立机し、菊舎顕彰会が創立される。
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中山神社本宮
 幕末動乱の時代、尊王討幕の天誅組の首領となった中山忠光卿終焉の地。元冶元年(1864)11月5日(8日説も)、長州藩内の俗論党の手にかかり、暗殺、20歳。忠光卿は、大納言中山忠能の五男で、姉慶子は孝明天皇に嫁ぎ、明治天皇を生んだ。まもなく、明治の世となり長州藩はこの一件を闇に葬り去ろうと村人にも箝口令がしかれたが、明治天皇の知るところとなった。忠光卿遭難の一箇月余の12月15日、高杉晋作が功山寺に挙兵した。五十年祭に「遭難碑」、百年祭の昭和38年には「本宮」中山神社建立。「血染の石」のほか、愛親覚羅夫妻や嵯峨公爵お手植えの木がある。忠光卿と恩地トミとの間に生まれた仲子は、のちに嵯峨公爵に嫁いだ。映画「ラストエンペラー」に登場の満州皇帝の弟、愛親覚羅溥傑に嫁いだ嵯峨 浩は、忠光卿のひ孫にあたる。杣地という地に生をうけた菊舎と、死を迎えた忠光。ふたりのあまりにも違う生涯に、おもいを馳せたい。本宮より上に、菊舎や忠光ゆかりの四恩寺の古跡がある。
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菊舎妹婚家 妙久寺
 天文12年(1543)創設。九世住職通門(可及・孤水・嶺雲下)の妻は、菊舎の妹。八世義観(松風)、十世謙譲(松下)俳人。菊舎は故郷に帰るたびに、寺を訪ねては俳諧などを楽しむ。菊舎のゆかりで、美濃派の歴代道統や俳人たちが来寺。現在の本堂は、明治14年(1881)に再建したもの。境内に「花と降る峯のしらべや法の声」の菊舎句碑がある。内山貞子揮毫。十五世坊守岡昌子が、一字庵十一世として、現在文台を預かっている。菊舎の妹(恵眼院妙観)の墓あり。
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文台付属品解説紹介
一字庵文台(八世の代に復元)
裏に汲古堂東桃園の画(扇に梅)と、西尾桃支の「高香れ此の菊の舎の庭の菊」賛がある。

板書

<五条式> 芭蕉翁 旧式を増減しての会席の条目
<饗応式> 俳諧後の饗応は一汁一菜たるべし

菅公画像
土佐秀信画

芭蕉画像と句
人の短をいふ事なかれ己が長を説く事なかれ 「物いへば唇寒し秋の風
文蘇坊書 文流斎画

三頫(ちょう)図
あふむくもうつむくもさびしゆりの花
獅子老人句 友左坊書 紫畹画

冊子
「手折菊」「俳諧十論」「十論為辨抄」「十論聞書」「雑字類編」「獅子庵の辨」「露川状」「筆論」「温故暁我」「神武権衡録」「五竹師句評抜書」「俳諧略系」「遺訓正花論」他
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地図

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