菊舎顕彰会では平成12年より毎年、諸国を旅した菊舎の足跡を追って研修旅行を行っております。このページではその記録をご紹介します。
平成12年春・長府 平成12年秋・萩 平成13年秋・田耕 平成14年夏・美濃
(作業中)
日 付  1回目は、まず尼の墓参をすべく長府の地を選びました。長府は、生誕地田耕とともに、菊舎尼の故郷です。26歳で長府に出た彼女は、城下の開明的な風土とそうそうたる文人達に出会い、大きな影響を受けます。そして、文芸への道をひた走ることになったのです。
 現地に行かれる際はマナーをお守り下さい。<(_ _)>
平成12年4月4日
行 先
下関市長府
行 程
田上家旧宅
弘化3年(1846)古地図の田上家
 菊舎(本名.田上道)が、村田利之助に嫁した明和5年(1768)、父由永(46歳)は、藩主の命により、印内町に家屋敷と人馬を賜って、田耕村より長府に移住した。
 家の造作などに銀壱貫目余り要した。安永5年(1776)夫と死別した道は、三回忌をすませ、長府の両親のもとに身を寄せ復籍した。
 天明4年(1784)田上家の家督を、菊舎の弟多門次に譲り父由永は本荘了左と改名し、剃髪して侍医となった。
個人のお宅です。ご迷惑にならないようにしましょう。また道幅が狭いので車に気をつけて下さい。(駐車禁止です。)

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称名山 徳応寺
 浄土真宗のお寺で、弟策次の養子先・椋梨家の師匠寺でもあった。老僧夫妻には、特に可愛がれ、訪ねては教えをうけたと言う。境内には、両親からもらった手紙を埋めた
文塚
がある。
 表面:「雲となる花の父母なり春の雨」
 裏面:清国の人、費晴湖より長崎で与えられた菊舎を称える詩文が刻まれている。
一字庵菊舎尼墓
 文政9年8月23日長府に74歳で寂す。遺骨を納める。
墓石右側に、五世後裔本荘熊次郎の撰文の碑(昭和2年5月建立)
菊舎句碑(大乗寺墓地)
 「山門を出れば日本ぞ茶摘み唄」(大正11年植村精吾建立)
駐車場はごく限られています。

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豊浦小学校教育資料館
 全国でも珍しい小学校附設の博物館。
開校100周年を記念して1972年に開設された。毛利家資料を中心とした展示ですが菊舎の関係として次のものを観覧。
愛用の頭陀袋
 文政10年に当地を訪れた美濃の俳人廬皖坊(美濃派10世の補佐役)の賛がある。
銘「霊泉」硯
 裏に硯の由来が刻れていて、これによれば、筑前の国の漁夫が砂泥の中からえた埋木を太宰府延寿王院に献じた。それを使って製ったところの一つ。
掛け軸
 「香り流す八重はた雲やきくのけふ」
毎年11月の豊浦祭に一般開放されます。豊浦小学校にお問い合わせ下さい。(駐車場はありません。)

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法性山 本覚寺
 文亀元年(1501)創建の浄土宗の古刹で田上家・本荘家の菩提寺。
龍の彫刻を配した山門を潜れば左側に菊舎の墓がある。
墓には菊舎の遺髪を納める。
一字庵菊舎尼墓
 法名:一宇庵菊舎釈妙意大姉
 辞世:無量寿の宝の山や錦時
鏡山お初の墓
 菊舎の墓の右隣にある小さな五輪塔は女忠臣蔵として有名な「お初」こと「松田さつ」の墓。
駐車場はありません。

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長府博物館・功山寺
 長府博物館は、平成11年、国の登録有形文化財となり、館所蔵の資料は大変貴重な物で高い評価を受けている。菊舎の遺品や作品も収集されている。
 開館時間:9:30〜17:00(入館は16:30まで)
 休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館)・祝日の翌日・年始年末(12月28日〜1月4日)・展示替えの期間
 入場料:一般200円・大学生100円(18歳以下は無料)

 功山寺は、鎌倉末期に創建され、唐様建築の仏殿は国宝に指定されている。また、毛利に破れ自刃した大内義長最期の地である。三条実美以下五卿の潜居や高杉晋作の挙兵などでも有名な曹洞宗の古刹。
 山門下の左側に菊舎の句碑がある。
「鐘氷る夜や父母のおもはるゝ」
この句は、菊舎三十歳、北陸・奥羽大行脚中の日光での作で、凍てつく夜、鐘の声を聞きつつ、ふるさとの父母を偲んで詠んだ一句。
台石は生誕地田耕より寄せられ、昭和48年に建立された。
近くに有料駐車場があります。

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閑習庵跡(毛利別荘)
 関門海峡を一望できる高台にあり、古代、臨海館などの迎賓館的な施設が置かれたと云われ、元禄年間、第3代長府藩主・綱元により別荘の御茶屋が設けられた。
 幕末には外敵に備え砲台が築かれ攘夷戦争の火蓋が切られたが文久3年(1863)にはフランス軍に、元治元年(1864)には英・米・仏・蘭の四国連合軍により一時占領された。
 享和3年(1803)秋、菊舎51歳のとき11代藩主元義公(19歳)から召され、御用絵師・度会文流斎は画で菊舎は漢詩、発句を以て、海峡を望む風景を賞した「前田二十勝」を合作する。後年、薩摩藩主・島津重豪はこれを見て賞賛した。
 上の写真の石碑は大正15年皇太子時代の昭和天皇がここに立ち寄られたことを記念して建てられたもの。
〜「前田二十勝」から冒頭抜粋〜
 巍然たる楼閣江浜に望める二十勝は、我長府侯遠つ御代より定め置たまひて、其後代々の君侯替らずめでさせ玉ひけるにぞ、詩歌の風藻多くして、誰しらぬ火の海山かけて、眺望更にいはんかたなし。折しも長月末の比、文流斎主人と共に爰の佳景を望み侍りぬ。流子は詩中の風姿を画き、我は画中の風情を暢ぶ。和歌の浦にも志なば、波の玉藻もひろふべきに、鄙言・漢字の分ちもなく、杜撰の言ぐさ書まじへぬるも、心はおさおさ吉野・龍田のはな紅葉をうらやまざらむやと、四季混雑の詩諧をもて、一景一景に即賛して、後の笑ひを求め侍りぬ。享和癸亥秋菊舎題。
関路行人
一雨風塵ヲ洗フ 千山秋色新ナリ
関門今鎖サズ 駅下幾行人
月に花に戸ざゝぬ関の往来かな

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下関市立美術館・長府庭園
 美術館前の菊舎の句碑を見る。
「月に花に戸ざゝぬ関の往来かな」
 長府庭園は、長府藩家老、西運長の屋敷跡で、高い山を背にした約3万平方メートルの敷地には、池を中心に書院、茶室、池の水を利用した滝があり、ゆったりと庭園美を楽しめる回遊式日本庭園。

 開園時間:9:00〜17:00
 休園日:年末年始(12月28日〜1月4日)
 入園料 大人200円・小中学生100円


菊舎の句碑は美術館駐車場の国道9号線側にあります。駐車場は無料です。

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