| 帰る晴も月に教への菰一枚 『初手水』 | |
| 江戸で師弟のちぎりを結んだ千家流の茶人伊藤宗長(旗本竹中氏の家老職)が美濃に帰郷していることを聞いた菊舎は、伊藤家を訪れては熱心にお茶の手ほどきを受けました。 美濃派の俳人として、嗜み程度のお茶ならば許されたでしょうが、その後の菊舎の茶事に対するのめり込みようは、目に余るものがあったようで、のちに、兄弟子の百茶坊から「茶は自己のたのしみ、俳(諧)は世上の和を導き候大道にて御ざ候」と苦言の書簡を受け取ることになります。 この顛末は、次回に紹介することにして、8月15日、傘狂はじめ多くの門弟が不破に集まり、月見の雅莚と故郷へ帰る菊舎の餞別会が行われました。傘狂の「帰郷して父母に孝養しなさい」との言葉に従い、名残惜しくも美濃を発つことになった菊舎は、冒頭の句を詠みます。兄弟子の百茶坊は「つゝと帰れ月や花野に目もふらで」と、長門の両親の許に一日も早く帰るよう諭して菊舎を見送りました。 |
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| 高木百茶坊句碑【余浄寺】と 高木家にある菊舎も使った思われる大きな手水鉢(岐阜県本巣市真正町) |
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| ■新菊舎慕情 1 | 「荻萩の・・・ |
| ■新菊舎慕情 2 | 「月を笠に・・・ |
| ■新菊舎慕情 3 | 「吾笠に・・・ |
| 「染て行む・・・ | |
| ■新菊舎慕情 4 | 「秋風に・・・ |
| ■新菊舎慕情 5 | 「和らかに・・・ |
| 「教えの春を・・・ | |
| ■新菊舎慕情 6 | 「通さねば・・・ |
| 「関の戸を・・・ | |
| ■新菊舎慕情 7 | 「花見せる・・・ |
| 「破れし・・・ | |
| ■新菊舎慕情 8 | 「長門なる・・・ |
| ■新菊舎慕情 9 | 「世の俳人は・・・ |
| ■新菊舎慕情 10 | 「姨捨てた・・・ |
| ■新菊舎慕情 11 | 「月も涼し・・・ |
| ■新菊舎慕情 12 | 「姨石を・・・ |
| ■新菊舎慕情 13 | 「しばらくは・・・ |
| ■新菊舎慕情 14 | 「笠ぬげば・・・ |
| ■新菊舎慕情 15 | 「見て居れば・・・ |
| ■新菊舎慕情 16 | 「関の渡辺氏一陽斎に・・・ |
| ■新菊舎慕情 17 | 「稲干て・・・ |
| ■新菊舎慕情 18 | 「読みなをす・・・ |
| ■新菊舎慕情 19 | 「月や澄ん・・・ 「待受けて・・・ |
| ■新菊舎慕情 20 | 「世の花を・・・ |
| ■新菊舎慕情 21 | 「踏しめて・・・ |
| ■新菊舎慕情 22 | 「山中や・・・ |
| ■新菊舎慕情 23 | 「松島や・・・ 「指出る・・・ |
| ■新菊舎慕情 24 | 「雪に今朝・・・ 「鐘氷る・・・ |
| ■新菊舎慕情 25 | 「そふかそれよ・・・ |
| ■新菊舎慕情 26 | 「爰に道の・・・ 「香はうすくとも・・・ |
| ■新菊舎慕情 27 | 「花に遊ぶ・・・ |
| ■新菊舎慕情 28 | 「船は着ど・・・ |
| ■新菊舎慕情 29 | 「頭陀の限り・・・ |
| ■新菊舎慕情 30 | 「十徳の・・・ |
| ■新菊舎慕情 31 | 「荷ひ行かん・・・ |
| ■新菊舎慕情 32 | 「涼しさの・・・ |
| ■新菊舎慕情 33 | 「うけとらん・・・ |
| 荻萩の雫を菊の車かな 菊車 「改称賀章集」 |
| 田上菊舎(本名 道)は、宝暦3年(1753)10月14日、長門国豊浦郡田耕村(現下関市豊北町田耕)に、長府藩士田上由永の長女として生をうけました。 16歳で、近くの村田利之助に嫁ぎます。母方の親戚筋にあたる村田家の人々は、信仰心が篤く、俳諧をたしなみ、なごやかな暮らしをしていました。 しかし、平穏な日々は長く続かず、24歳のとき、夫利之助が亡くなります。 それから2年後の9月、長府の五精庵只山に自らの俳号を乞い、風雅に生きる決意を表します。 只山は「千代女や園女のように、いままた、あなたも千里にその名を走らせるように・・」と、菊車(のち菊舎と改号)の号を授けました。 闇夜に灯をいただいた心地の彼女の歓びが、冒頭句に窺えます。 |
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| 菊舎の婚家、村田家 |
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| 月を笠に着て遊ばゞや旅のそら 「手折菊」 | |
| 夫、村田利之助亡きあと、子どものいなかった道(菊車)は、村田家に養子を迎え、長府に移住していた実家田上家に復籍します。 稿本「手折菊」に「・・浮世に暇あく身と成ぬれば、天が下の名にあふくまぐま神社仏閣を拝詣せばやと思ひ立日を其儘に、ひとり旅路におもむきぬ」と記し、冒頭の句を置いています。 風雨を凌ぐ舎よりも、風雅の世界をもとめた彼女は、再婚の道を選ばず、生涯を俳諧文芸に遊ぶ決意をしました。 天明元年(1781)晩夏、菊車29歳。旅姿となり、諸国行脚に出立する彼女の弾む心が伝わる一句です。 |
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| 一字庵菊舎碑 田耕促進センター |
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| 吾笠に淋しさしめや蝉しぐれ 染て行む筆柿の葉も茂り時 「手折菊」 |
| 親鸞聖人のご旧跡をめぐり、蕉風俳諧に生きると固い決意をした菊車を、誰も留めることは出来なかったのでしょう。 旅に先立ち、美濃の宗匠 人丸神社には今も筆柿があり、昭和47年、地元の俳人たちによって菊舎句碑が建立されました。 |
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| 人丸神社の菊舎句碑 |
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| 秋風に浮世の |
| 菊車は、静が浦を経て通港から萩へ向かいました。 萩では清光寺(現西田町)の聞心院老師の導きにより得度し、「妙意」の法名をうけ尼となります。 清光寺は、毛利輝元の正室清光院殿のため建立された浄土真宗のお寺です。女性の得度は、剃髪でなく断髪ではなかったかと思いますが、いずれにせよ、黒髪を截(た)つということは、女性を捨てることであり、感慨もひとしおであったことでしょう。優しかった夫、長府に残してきた父母、その他さまざまな過去をぷっつりと振り払っての得度でした。肌に心地よい秋風のように、さわやかな菊舎のこころと、これから始まる俳諧行脚への決意のあらわれた一句です。 その後、竹奥舎其音を訪ね、朝暮園傘狂(美濃派以哉派六世道統)宛の添書きを得ました。 |
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| 清光寺(現 萩市西田町) |
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| 和らかに見られてすゝめ朧月 傘狂 教えの春を笠にいたゞく 菊車 「手折菊」 |
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| 美濃の朝暮園傘狂に弟子入りし、種々の指導を受けた菊車は、傘狂から「信」の一字を秘める「一字庵」の号を授かりました。 傘狂は、俳諧修行の旅の心得を 後年、菊舎は「師の余光を笠に着て・・」と書いていますが、厳しくも慈愛深い傘狂を、生涯慕い続けた彼女でした。 出立にあたり、美濃派連中への添文を受け、「奥の細道」の逆コースを辿るひとり旅に出ました。 |
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| 朝暮園傘狂口上書(菊舎紹介の添書) | |
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| 通さねばよし爰で聞郭公 関の戸を叩ては鳴水鶏も我も 「手折菊」 |
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江戸時代、女性の旅人は、往来手形を所持していても、簡単に関所は通してくれなかったようです。頭陀袋をかけ、尼僧の姿はしていましたが、関所の番人に度々足止めをされました。一句目は、江州(近江)柳ケ瀬の関、二句目は福井細呂木の関で詠んだものです。郭公・水鶏ともに夏の季語ですが、水鶏はコツコツコツと戸を叩くような高声な鳴き声のため、古来より「水鶏たたく」と言われている水辺草辺にすむ鳥です。菊車の正直で、洒脱で、後へ引かない気概の感じられる俳句です。 |
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| 関所図 手に乗せて関の戸越む すみれ草 |
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| 花見せる心にそよげ夏木立 菊車 破れし蚊帳に移る月影 白烏 「手折 |