一字庵・田上菊舎句碑のご案内



一字庵・田上菊舎の句碑 (太翔館)


かへり見るや浦島ならで氏祭り

 菊舎(本名 ミチ)は、長府毛利藩士・田上由永の長女として、長門国(現在の下関市豊北町田耕)に生まれました。
十六歳で同地の村田利之助に嫁ぎましたが、二十四歳のとき夫が病没。長府に移住していた実家に戻ります。
 その後、尼僧となり、俳諧修行の旅に出ました。和歌・漢詩・書画・茶道・七絃琴にも秀で、生涯旅した距離は二万キロを超えました。
 諸国行脚の旅を終え、文政七年(一八二四)秋、生誕地の氏祭りに出かけ、
「山や川は子どもの頃のまま。浦島太郎ではありませんが、見知らぬ人が増えました」と述懐し、この句を詠みました。

令和七年(二〇二五)十月    菊 舎 顕 彰 会


旧物山川在
人間輿又新
風松有清韻
相和入神心

かへり見るや
 浦島ならで
  氏祭り
   七十二齢菊舎
旧物 山川在し
人間 輿又新なり
風松 清韻有り
相和して神心に入る

「かへリ見るや」句自画賛



句碑建立について

 菊舎顕彰会は、菊舎百三十回忌を契機に、地元有志らによって発足した会です。その折に、旧・田耕小学校校庭に
「故郷や名もおもひ出す草の花」
の句碑を建立しました。
 令和七年は菊舎二百回忌にあたり、旧・滝部小学校にあたる豊北歴史民俗資料館に本句碑を建立し、下関市に寄贈いたしました。
 一字庵田上菊舎は、尼となり北は奥州から南は九州まで「予は月華を住家とおもへば」と旅に明け暮れました。
 この句碑は菊舎尼が旅をしながら目にしたであろう山や川、海や村々を偲び、碑の周囲に石を配置しています。また、句碑本体は菊舎が何度も乗ったであろう帆掛け舟になぞらえています。
 令和七年十月十九日、一字庵十二世立机式に続き、除幕式を執り行いました。

菊舎顕彰会


句碑の設置場所:
  山口県下関市豊北町大字滝部3153−1
    豊北歴史民俗資料館「太翔館」敷地内
アクセス(別ウインドウで開きます)




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