よそ見 わき見 気まま旅

35  江戸
 千住

 深川から舟に乗った芭蕉は千住で舟を降りると、愈々江戸に別れを告げ前途三千里の旅の一歩を踏み出しました。
 面白いのは、近年その千住で芭蕉が舟から上がったのは隅田川を挟んで北千住側か南千住側かの論争が続いていることです。
 今でこそ北千住は東京都足立区ですが、昔は武蔵国(田舎)であって江戸ではありませんでした。どうやらその辺が論争の火種のようです。
 北千住側の言い分としては、千住の関所は隅田川の北側、つまり武蔵国に在り、千住といえば即ち千住の関所を表しているのだ、と言います。
 一方南千住側は、江戸時代から芭蕉旅立ちの章を刻んだ石碑が南千住に建って居り、江戸の人達は、芭蕉は南千住から大橋を渡って旅立ったとずっと認識していたのだ、と主張します。
   気ままな旅人の推理は単純です。芭蕉が千住での別れを「人々は途中に立ちならびて、後ろかげのみゆる迄はと見送る、云々」と書いています。大勢の人達が関所を越えてまで見送ることはないだろう。すると関所の手前に並んで見送ったことになる。つまり南千住で芭蕉は舟を降りたはずです。
菊舎は、日光、草加を経て武蔵国側に有った関所を通り、千住大橋を渡って江戸に入りました。初めて見る江戸はどのように菊舎の目に映ったのでしょう。
人の多さ、賑やかさ、家並の大きさなどに目を瞠ったのではないでしょうか。大勢の中には偉人も変人も奇人もいたはずです。それも地方と違って圧倒的な数で。気ままな旅人が北千住を歩いた時も、奇妙なパホーマーに出会いました。
ただ無言で表情さえ変えず通り過ぎてゆきました。
 (中村 佑)    2016年7月1日



ホームへ