よそ見 わき見 気まま旅

第33回  日光-1
 東照宮―朝鮮鐘
 陽明門に向かって右、参道の脇にこの鐘はあります。朝鮮鐘と呼ばれています。正面に銘文が刻まれていましたが、無教養が災いをして読むことが出来ませんでした。文末に朝鮮国の文字が見えるので辛うじてそうなのか、と理解をしました。
 豊臣秀吉は2度朝鮮に出兵し朝鮮とは敵対関係にありましたが、徳川家康は親善策をとり国交回復に成功しました。国交正常化の結果、使節として来日したのがいわゆる朝鮮通信使です。幕末までに12回来日し、日光東照宮にはその内3回訪れたそうです。
 高藤晴俊著「東照宮再発見」に依りますと、1回目の訪問は将軍家光の招待で寛永13年(1636)東照宮を参拝。日光を訪れた最初の外国人となりました。2度目は寛永20年(1643)でした。その折に写真の鐘を奉納しています。
 奉納されたこの鐘、見回しても撞木が見当たりません。高藤晴俊氏の著書にその理由を探しましたが、氏も把握できていないようでした。ということは、誰一人この鐘の音を聴いた者がいない、ということになります。
 菊舎が日光を訪れたのは年の瀬の極寒の日。「鐘氷る夜や父母のおもはるゝ」の句は、この鐘を目にして詠まれたのかも知れない、と想像するのですがはたして?
 (中村 佑)    2016年5月2日



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